古代・中世文学ゆかりの地を京都、近世文学ゆかりの地を江戸とすれば、近代文学ゆかりの地はどこになるのでしょうか。
その答えとして、私は鎌倉という場所を挙げたいと思います。
近代の文学者たちが好んだこの地には、その歴史を学ぶことのできる施設が数多く揃っているのです。
今回はその中でも特に当サイトとかかわりが深い施設「鎌倉文学館」を訪れてみたので、鎌倉と文学の歴史から施設の見どころまで、余すところなく語っていきます!
なぜ鎌倉が近代文学ゆかりの地となったのか
さて、施設の紹介をする前に「そもそもなぜ鎌倉が近代文学ゆかりの地になったのか」という、鎌倉と文学の接点を解説していきます。
このあたりは文学館に行けば学べることなのですが、鎌倉を観光する前に知っておくと文学旅がはかどりそうなので、あえて先に語ってしまいましょう。
そもそも、鎌倉が歴史的に日の目を浴びるのは、皆さんもご存知のように鎌倉時代のことです。
源頼朝によって鎌倉幕府が開かれたことにより、これまで全ての中心であった京都から政治の中枢が鎌倉に移ってきました。
伝源頼朝像(出典:Wikipedia)
そのため鎌倉においても京都同様に一定の文化が栄えましたが、残念ながら「鎌倉文学の時代」が到来していた様子はありません。
これはなぜなのかというと、確かに政治こそは鎌倉で執り行われるようになったものの、文化の中心はあくまで京都であると考えられていたからです。
そうこうしているうちにふたたび政治の実権が京都に戻ってしまい、その後は江戸時代に入ってもやはり鎌倉文学の流行があった事実は見えません。
しかし、明治維新の到来によって近代に突入すると、鎌倉が海水浴場やリゾート地として栄えるようになり、東京へのアクセスも良かったことから多くの文学者たちがこの地に住むようになりました。
鎌倉に住んだ文学者は枚挙に暇がなく、夏目漱石や芥川龍之介・川端康成といった著名な文人たちもその中に含まれています。
鎌倉の円覚寺に掲示されている文学案内板
こうして鎌倉を拠点にする文士たちが増えてきたことで、彼らは「鎌倉文士」と呼ばれるようになりました。
昭和初期には鎌倉文士たちの勢いが最も盛んであり、地元でお祭りや貸本屋を営むなど地域とも一体化していきます。
そしていつしか鎌倉は「文学の街」として認識されるようになり、現代で鎌倉文学館が創設されるに至るのです。
なお、鎌倉の文学・歴史名所については別サイトで専門記事を執筆しているので、こちらもご覧ください。
鎌倉文学館の成り立ちと歴史
鎌倉文学館が創設されたのは1985年のことで、もともとこの地には加賀前田家の別荘が存在しました。
それを前田家から譲り受けた鎌倉市が文学館に改装し、現代に至ります。
ただ、改装とはいえども戦前に建築された洋風家屋の趣は健在で、庭園や外観などはほぼそのまま残存しているほか、内部の文学館でも「この場所は食堂として用いられていました」というように当時の暮らしぶりを忍ばせる記述や写真が残されています。
文学館の外観(出典:Wikipedia)
そのため、文学とのかかわりという点でいけば近代における貴族階級の人々がどのような暮らしをしていたのかを体感することができ、近代文学における貴族を描いた作品の理解を助けてくれるでしょう。
展示を抜きにしても、文学的な見どころの多い建造物です。
鎌倉文学館の見どころ・楽しみ方
さて、ここからはいよいよ内部の展示やイベントといった「文学好きのための文学館の楽しみ方」をご紹介していきます。
ただつれづれに観光するのも悪くないですが、せっかくなら見どころを整理して展示を味わうのも一興でしょう。
文豪たちの日常生活が垣間見えて面白い
まず、常設展の展示内容は鎌倉と文士たちの関わりを忍ばせるものや、彼らの描いた原稿や書籍がメインになってきます。
あくまで別荘の居間と食堂を改装したスペースに常設展は用意されているため、決して展示量が多いわけではありません。
しかし、単に彼らの功績や生涯を紹介するだけの文学館ではなく、意外と知られていない文士たちの日常生活が垣間見えるため、非常に面白い展示になっています。
これは当サイトのツイッターでもご紹介しましたが、あの川端康成が「ミス鎌倉」の審査員をしていたり、久米正雄が野球チームを作って地元の人々と交流している様子が私には驚きでした。
本日は、中の人が旅行と勉強を兼ねて #鎌倉文学館 を訪れています
文豪といえば堅苦しく近寄り難いイメージがありましたので、川端康成や久米正雄が野球やミスコンの審査員をやっていたという事実には驚きました…
直筆原稿からも作家の性格が垣間見えるなど、古典好きにはたまらない施設かと pic.twitter.com/rTedU1ieUv
— 古典のいぶき (@koten_ibuki) August 21, 2019
もちろん、言われてみれば文士たちにも日常生活があり、365日小説を書いているわけでないのは当然のことです。
しかし、我々はやはり彼らを「文豪」として近寄りがたいもののように考えてしまう傾向があると感じますし、そうした誤解を解くのには素晴らしい展示だと感じました。
近代文学の作家たちを崇めていると拍子抜けしてしまうかもしれませんが、これもまた文士たちの素顔として知っておくべきでしょう。
直筆原稿から制作風景や作家の性格が読み取れるよう
展示内容の紹介でも触れましたが、個人的には作家たちの直筆原稿には非常に見ごたえがあると感じました。
まず、原稿を見て真っ先に目に入るのは「赤(修正)の多さ」。
川端康成も有島武郎も、編集者からこれでもかと修正を加えられていました。
鎌倉市長谷の自宅で撮影された川端康成(出典:Wikipedia)
その内容は接続詞の変更や追加から文節のそれに至るまで、今でいうところの編集とそう変わりません。
ただ、個人的に彼らの作品にここまで赤が入っているというのは驚きで、やはり書籍化にあたってはこうした裏でのやり取りが数多くあったのでしょう。
もちろん、当然ながらパソコンなど存在しない時代であり、それゆえの修正もあるのでしょうが。
さらに、もう一つ直筆原稿から読み取れる興味深い点として、作家たちの筆跡がけっこう異なるということが挙げられます。
大半の作家はいわゆる「作家らしい」といいますか、走り書きのようであまり綺麗でない字を書いているのは想定内でした。
ただ、特に興味をひかれたのが夏目漱石によって描かれた『吾輩は猫である』の直筆原稿で、他の作家に比べると丸く非常に丁寧な字で執筆されていたのです。
初期に描かれた『吾輩は猫である』の表紙(出典:Wikipedia)
よく考えてみれば漱石は若いころからの小説家ではなく、教員を務めた後にこの『吾輩は猫である』の出版をもって小説家デビューを果たしています。
そのため、「初めての小説だから丁寧な字で書かれているのか?」とか、「もともと教員をしていたから字を丁寧に書く癖がついているのか?」など、色々なことを考えさせられて面白かったです。
こういった情報はただ書籍で作品を読むだけでは得られないものであり、やはり文学館で現物を見るに限りますね。
文学的な見どころではないが…バラが綺麗らしい
最後の見どころは文学とあまり関係がないのですが、調べてみるとこの鎌倉文学館の庭園に咲くバラが非常に有名なようです。
鎌倉文学館のバラ(出典:鎌倉文学館HP)
私はシーズン外に訪問したためバラを見ることは出来ませんでしたが、見ごろは5月中旬~6月下旬と10月中旬~11月下旬に訪れるとのこと。
実に250株を数える多種多様なバラの開花に合わせて、春にはバラまつりが、秋には文学館フェスティバルが開催されるということです。
もちろん文学に全く興味のない方が訪れると物足りない施設かもしれませんが、せっかくなら文学館訪問のついでにバラ園を鑑賞されてもよいのかもしれません。
また、敷地内にはいかにも「インスタ映え」しそうなトンネルなども用意されているので、写真スポットは豊富に用意されていると思っていてよいでしょう。
館内は撮影できませんが、カメラ片手に観光されることをオススメします。
まとめ
ここまで、近代文学の歴史を味わえる「鎌倉文学館」という施設をご紹介してきました。
施設の外観や展示内容など、古典文学好きにはたまらない造りになっていると思われます。
また、今回は特別展の内容が古典と関わりなかったため省略してしまいましたが、時期によっては文学通にオススメの展示も行われるようです。
特別展のスケジュールやバラの開花状況など、ご自身に最適なタイミングで観光されることを推奨します!
アクセス:江ノ電「由比ヶ浜駅」徒歩7分
開館時間:9:00~17:00(冬期は16:30)
観覧料:500円
施設詳細:https://www.jalan.net/kankou/spt_14204cc3300033421/
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