『海軍条約事件』のあらすじや感想、トリビアを解説!伝説的な朝食シーンと社会風刺が盛り込まれた名作短編

イギリス文学
スポンサーリンク
スポンサーリンク

海軍条約事件の感想・考察(ネタバレ有)

ここからは、本作に関する考察を含めた感想を述べていきたいと思います。

なお、記事の構成上ネタバレ要素が含まれていますので、未読の方はぜひ作品を読んでから先を読み進めてください。

巧妙に仕込まれた伏線!読者も推理を楽しめるフェアプレイミステリ

本作は、作中の情報を基に読者も推理を楽しめるフェアプレイミステリです。ホームズの捜査の過程もきちんと描かれていて、読者はホームズやワトスンと同じ物を見て推理を進めることができます。

ただ本作がフェアプレイミステリだと気づくのは、おそらく一度最後まで読み通した後でしょう。それくらいさりげなく伏線が張り巡らされているのです。

事件の犯人はフェルプスの婚約者の兄であるジョーゼフ・ハリスンでした。盗難事件の起こった日に、ロンドンから一緒に汽車に乗ろうとフェルプスを迎えに外務省へ行った彼は、一瞬の判断で条約文書を盗み出してしまいます。しかも政治的な動機は一切ない、お金目当ての犯行というなんとも言えない結末でした。

結末を見れば「犯人は身内」というシンプルな犯罪だったわけですが、それがこの作品のポイントです。

当初、盗まれたものが重要な外交文書であったことから、複雑な動機や陰謀説が囁かれ、どんな政治的な影響が出るのかという不安が飛び交います。そこまで規模の大きい話だと、読者の入る余地はないなと思わされるわけですが、これが動機面でのミスリードになっているのです。

また、この事件では疑わしい容疑者や状況証拠がバンバン提示されます。かなり重要に見えるこれらのものも、実は盗難事件とは無関係という大胆なミスリード。読者に全く意味のない余計な推理をさせる仕掛けです。余計な情報さえなければ、読者もすんなり真相にたどり着けてしまうでしょう。

謎そのものを極めてシンプルにすることで、逆に読者を混乱させるという、大胆でおもしろい手法だと思います。

スポンサーリンク

依頼人を驚かせすぎ!ホームズのサプライズ種明かしに見る人気の秘密

名馬シルバー・ブレイズ号』の記事でも触れましたが、ホームズは種明かしの際に演出がかったことをするのが大好きです。本人も作中でそれを認めています。本作には、サプライズ感の強い伝説的な種明かしシーンが登場します。

犯人を捕らえ条約文書を取り返すために、一人ウォーキングに残ったホームズ。一足先にベイカー街に帰されたワトスンとフェルプスは、眠れぬ夜を過ごします。

朝食時になり、負傷したホームズが帰宅。まずは朝食を摂ろうと、ホームズはフェルプスに目の前の皿の蓋を取るように促します。食べる気などまったく起きないフェルプスが嫌々蓋を取ると、皿の上にはなんと条約文書が!!喜び過ぎたフェルプスは、椅子に倒れ込んでしまうのでした。

この後、驚かせたことについて一応は詫びるホームズですが、サプライズが成功したことに満足しているのがうかがえます。最後の最後まで真相を明かさないのは名探偵の常識ですが、ホームズのサプライズ方式には、他の探偵ものの場合とはまた違う、名探偵のおちゃめな人柄を映し出す効果があるように思えます。

ただの推理マシーンとして描かれがちなホームズも、人を驚かせて楽しむといういたずらっ子のような一面がある。こうした遊び心のある演出をたびたび盛り込むことで、ホームズという人物が、読者にとってより身近な立体感のある存在になっていったのです。

ちなみにこの朝食シーンは、ホームズ作品と食事をテーマにしたテレビ番組などでも取り上げられています。

作者ドイルの思いが込められたシーンから感じるメッセージ

前半で本作の社会派要素として、政権批判について触れましたが、実はこの作品にはもう一つ社会派要素が盛り込まれています。

ホームズとワトスンがウォーキングからロンドンに帰る途中、クラパム・ジャンクション駅とウォータールー駅の間の高架を走る汽車の中から、公立小学校の灯りが見えます。その灯りを見て「公立小学校だ」と言うワトスンに対し、ホームズは「灯台だよ」と答えるのです。ホームズは公立小学校を、未来を照らすかがり火だと話します。未来のイングランドを担う小さな種子が育っているのだと。

今回の事件には子供は全く絡んでおらず、何の前触れもなく突然放り込まれる会話なので、物語からは少し浮いていて印象に残ります。犯罪捜査に関わることにしか関心を示さず、浮世離れしているイメージの強いホームズですが、彼の次世代に対する期待や温かいまなざしが垣間見え、本作の強いメッセージ性も感じられるシーンです。

イギリスでは1870年に初等教育法が制定され、5~13歳の子供の就学が義務付けられており、本作が書かれた1893年ごろには、12~13歳の子供の就学率は75%に達していました。

ドイル自身も当時は2児の父になっていましたから、子供たちの教育というものへの関心も高まっていたのではないかと想像できます。

前半で触れたキャラクター設定による政治批判と、次世代への期待を盛り込むという合わせ技を見ると、本作がドイルの当時の社会への思いを込めた作品であることがよくわかります。

次世代に勝手な期待を寄せるというのは、個人的にはあまり好きな考え方ではありませんが、「子供たちを大切にする」という視点には共感できました。100年以上前にはもう、教育というものの重要性が認識されていたイギリス。今の日本と比較して、いろいろと考えさせられてしまいます。

スポンサーリンク

まとめ

今回はシャーロック・ホームズのサプライズ好きな一面が光る、『海軍条約事件』を取り上げました。

本格ミステリとしてのおもしろさもありながら、ホームズのおちゃめな一面、ドイルの社会への思いも感じ取れる、内容の濃いエピソードです。

日本でも大人気の社会派ミステリの要素を感じられる本作を、時代背景や現代社会と照らし合わせながらご堪能ください!

※物語の人物名や固有名詞の表記は、「回想のシャーロック・ホームズ【新訳版】(深町眞理子訳/創元推理文庫/2010年版)」を参考にしました。

【参考文献】

・回想のシャーロック・ホームズ【新訳版】(深町眞理子訳/創元推理文庫/2010年版)

・シャーロック・ホームズ全集④シャーロック・ホームズの思い出(小林司・東山あかね・高田寛訳/河出書房新社/1999年)

・シャーロック・ホームズ完全ナビ(ダニエル・スミス著/日暮雅通訳/国書刊行会/2016年)

・シャーロック・ホームズ大図鑑(デイヴィッド・スチュアート・デイヴィーズほか著/日暮雅通訳/三省堂/2016年)

・シャーロック・ホームズ語辞典(北原尚彦・えのころ工房著/誠文堂新光社/2019年)

・図説ヴィクトリア朝の子どもたち(奥田実紀・ちばかおり著/河出書房新社/2019年)

【参考サイト】

・ウィキペディア内「ウォキング

・コトバンク「地中海協定とは

コメント