『夜と霧』のあらすじや感想、テーマの解説!世界中で評価され、レポートの題材としてもお馴染み

夜と霧 アイキャッチドイツ近現代文学
スポンサーリンク
スポンサーリンク

『夜と霧』の感想や考察(ネタバレあり)

さて、ここからは作品の内容について見ていきたいと思います。

この作品は人間の生き方や考え方に触れている部分も多く、そのため読む人により様々な解釈や捉え方ができてしまいます。これが本作を読む際の良さであり、難しさでもあるといえるかもしれません。

ここからの感想や考察を読む中で「なるほど!そういう見方があるのか!」、あるいは「うーん、自分の見方とはちょっと違うなぁ」というように、考えながら読んでいただければ幸いです!

ネタバレもありますのでご注意ください)

指先の動き一つで生死が決まるという、この世の地獄が描かれる

収容所に送られたフランクルは、他の収容者同様に全ての持ち物を奪われます。

高価な時計やアクセサリーはもちろん、眼鏡や結婚指輪まで。

全てを奪われるなか、学者・フランクルは最後の心の拠り所である、自ら記した「学術書の原稿」を見逃してはもらえないか、と仲間に相談します。

すると帰ってきた答えは「クソッタレ!」というものでした。

どんなに必要なものも、大切なものも全てを奪われる。「クソッタレ!」と叫んだ仲間は、「命があるだけマシだと思え!」ということを言いたかったのです。

フランクルは全てを悟り、「これまでの自分の人生をなかったものにする」という心理的反応をしたと述べています。これが収容生活の始まりでした。

が、次の瞬間には「持ち物は奪われても命があればどうにかなる」という考えすら甘いものだと思い知らされます。

収容所に到着したばかりの時、フランクルたち収容者は最初の選別を受けたようです。それはナチスの将校による選別でした。

将校は被収容者一人ひとりをちらっと見ては「お前は右にいけ」「お前は左だ」という風に、立てた人差し指を、ちょこっと左右に動かすというものでした。指示を受けた収容者たちは、それぞれ右に、左に歩いて行きました。

後になって、彼はこれが「命の選別」だったことを知ります。フランクルは生き延びましたが、フランクルと逆に指を動かされたものは、その日のうちにガス室で殺されてしまったのです。この時は、到着した収容者の1割のみが生き残りました。

持ち物どころか人間の命さえ、一人の将校の指の動きによって簡単に奪われてしまう。
これ以上非道な状況があるのでしょうか。

スポンサーリンク

フランクルは「生きる意味」を見つけることが重要と説く

凄惨な状況に追いやられたとき、人間はどのように生きれば良いのか。フランクルの思想の核心はここにあります。同時に、本作の核心に迫る命題であるともいえるでしょう。

フランクルは「生きる意味」を見つけることが重要だといっています。現に、英語版のタイトルは「Man’s Search for Meaning」と名付けられており、訳は「生きる意味を見つける」。

なるほど、確かに「生きる意味」というとなにやら大切なような気がします。が、漠然としてしまっており、実態がよく分かりません。また、「生きる意味」を考えるより、私を含め「明日のことで精一杯だ!」という人も多いでしょう。

ただ、何度も繰り返しになりますが、過酷な収容所を生き抜いたフランクルの言葉。見過ごすのは大いなる損失です。では、彼の言わんとすることは一体なんなのか。ゆっくり見ることにしましょう。

「3つの価値」が生きる意味を見つける手がかりになる?

フランクルは生きる意味を見つけるために「3つの価値」という考え方を提案しました。それは、

①創造価値
②体験価値
③態度価値

という3種類の価値です。

難しい単語はありませんが、観念的すぎてなんとも理解できません。

しかし、3つの価値を追求することは「生きる意味」を知る手がかりとなり、「人生の意味」を見つけた者は、どのような困難も乗り越えられる。

これはフランクルの考えの核心であり、本作で最も伝えたかったことなのだと思います。

なので、一つずつ、具体的に解説していきます。

「創造価値」…自分の仕事に全力を尽くして創る価値

創造とは何かをつくること。なので、「創造価値」とは「仕事」を通して創る価値のことです。

仕事、といっても「会社員がする仕事」だけを指すのではありません。言い換えれば「自分の立場でできる、あらゆる事」と表現してもいいでしょう。

例えば、医師や看護師であれば患者の回復や健康のために力を尽くすこと、ミュージシャンであれば作曲やステージで観客を感動させること、学生ならより深く学ぶこと…。

このような態度の末に生まれる良い結果が、フランクルのいう「自分の仕事を通して作る価値」、すなわち「創造価値」なのです。

これについては、フランクルの次のような収容体験が元になっています。

毎日毎時苦しめられざるを得ない残酷な脅迫の念に私はもう耐えられなくなった。そこで私は一つのトリック用いるのであった。突然私自身は明るく照らされた美しくて暖かい大きな講演会場の演壇に立っていた。私の前にはゆったりとしたクッションの椅子に興味深く耳を傾けている聴衆がいた。」(『夜と霧』霜山訳p178)

収容所の絶望の中、もう耐えられない!そう思ったとき、自分が学者として自分の大事な仕事を完成させている姿を思い描く…。

フランクルは、「収容所での体験を心理学的に分析し人々に伝える」という仕事に大きな意義を見出しました。

これこそ、彼にとっての「創造価値」です。

この価値を追求することが、過酷な強制収容所で絶望することなく生き抜く大きな心の糧となりました。すなわち、彼は生きる意味を見つけたのです。

スポンサーリンク

「体験価値」…美しさに触れ、人を愛することで得られる価値

「体験価値」は、他の2つに比べると少し分かりやすいかもしれません。

素晴らしい音楽を聴くことや大自然に触れること、人を愛することも「体験価値」だとフランクルはいいます。

収容所の中の労働で疲れ果て、皆が地面にへたりこんでいる時。1人の仲間が駆け込んできて「こっちに来い!」と皆を呼びました。

それは太陽が沈むのを見る、ただそれだけのためでした。沈みゆく夕日のこの世のものとも思えない色合い、誰もが固唾を飲んで数分間見とれていました。そして、誰ともなく叫びます。

「世界はなんて美しいんだ!」と。

灰色の収容所生活の中、この美しさがどれほど人々に力を与えたことでしょうか!

さらに、フランクルはこの作品の中でもう一つ重要な「体験価値」を挙げています。それは「心の中での妻との語らい」です。

彼は心の中で妻を愛し、妻と語らうことで生き抜く糧を得ました。

私はこの箇所について「是非皆さんに知っていただきたい」と思い、正確で分かりやすい解説を書こうと意気込んでいました。

ですが、どのように言葉を練っても、どうしてもフランクルの美しい心情や力強さを表現することができません。

この箇所は、作品の最も崇高で美しい部分であると思います。あなたにも、是非実際に手に取って読んで欲しいところです!

「態度価値」…どのようなことをしても奪えない、人間の価値

最後の、「態度価値」とはなんでしょうか。

人間は、人生の中で様々な困難や悲劇に遭遇することもあります。

私は、少しの困難でも「あぁ、もうだめだ…」となってしまいがちですが、みなさんはどうでしょう。

目の前の困難に立ち向かっていく人、私みたいに諦めて投げやりになってしまう人、中にはうまくかわしてしまう人もいるかもしれません。

そんな困難とばったりと出会った時、「どのような態度をとるか」それがフランクルのいう「態度価値」そのものなのです。

強制収容所の中では、ただ生きていくだけのことが困難。

ある人はまだ温かい死体から、自分のものより少しだけマシな靴を奪いました。

別の人は、自分が飢えている中、より弱っている人に、自らのわずかなパンを与えました。

強制収容所は私たちの想像を絶する過酷な環境です。冬は北海道より寒く、血も凍るような雪の中を、破れた靴や裸足歩き続けました。この環境下で「死体から靴を盗む」ということを、私にはとても責めることができません。

しかし、自分がいつ飢えて死ぬかという中にあって、他者にパンを与える人の気高さ。

フランクルのいう「態度価値」とはまさにこのことでした。

私たちも日々の生活の中で、困難や理不尽なことに直面することがあります。

会社で、やりたくない仕事を押し付けられること、頑張って受けた学校のテストで上手くいかないこと、全く根拠のないことで友人から責められ、人間関係にヒビが入ること。

その瞬間に「やってられるか!」と怒りに身を任せるか、あるいは気を取り直し前向きに進もうとするか。

困難に対する態度を決めるのは、まさに私たち自身であり、他の誰でもありません。

極端な話、銃を突きつけられても、「私の態度を決めるのは私」なのです。熾烈な体験を乗り越えたフランクルだからこそ言える、とても重たい言葉だといえますね。

スポンサーリンク

「人生の意味」を問うてはならない!?

フランクルは「生きる意味」を見つけて、それに従って生きることを勧めています。

ところが、本作の違う箇所では「人生の意味を問うのはやめよ!」ということも言うのです。

「言ってること真逆じゃないか…」と思いますよね。

このあたりは、慎重に解釈しなければ本作を理解できません。

加えて、中途半端に理解してしまうと、彼の主張を正反対に受けとってしまう危険もあります。

なので、少しばかり慎重に読み解いてみましょう。

フランクルはこう言います。

「人生から何を期待するかではなく、人生が私になにを期待しているかが問題なのだ」と。

相変わらず観念的で、よくわかりません。いったい、フランクルは何がいいたいのでしょうか?

内容を理解するために、フランクルが作品の中で紹介している2人の例を挙げてみます。

彼の仲間に2人の男がいましたが、2人とも収容所の生活に絶望し、自殺を考えていました。2人とも「生きていることになんの希望も持てない」と言うのです。

フランクルはこの2人にあることを伝え、彼らに希望を与えて自殺を思いとどまらせることに成功しました。

彼はいったい何を伝えたのか。

それは「生きる意味」を悟らせるメッセージでした。

私たちは、絶望した時に「こんな人生に何の意味があるのか!人生に意味などないのではないか!」と考えてしまいます。つまり、人生に対し、「私の生きる意味は何なのか?」と問うているのです。

が、フランクルはこの「人生の意味を問うこと、『人生』から何かの答えを得ようとすること」を戒めています。

確かに、人生の意味を問うても答えなど見つかりそうもないですね。

「結局人生の意味はないのか」と、より絶望を深めてしまいそう。

そこで、フランクルは次のように考えることを進めます。

「人生は、私が何かをすることを求めている。私はその人生の期待に答えなければならない」と。

2人の男のうち、1人は外国に子どもを残していました。父親である彼が強制収容所で死んでしまうと、子どもはかけがえのない父親を失ってしまうことになります。

フランクルの話によりそのことに気づかされた男は、「自分が生き抜くことが子どもにとって絶対に必要なことなのだ」と思い直し、自殺を踏みとどまるのです。

そして、もう1人の男は研究者でした。この男もフランクルの話により、「自分が死んでしまっては、自分のしてきた重要な研究が失われてしまう。この研究のために私は死ぬわけにはいかないのだ」と気づきます。

愛する人の存在や、自分にしかできない仕事という使命を思い出し、彼らは「生きる意味」に気づいたのです。そして、人生から期待されていることに全力で応えていく生き方をする。

フランクルにとっては、収容所の体験を人々に伝えること。仲間の男たちにとっては、子どもの父親として生きること、重要な研究を続けること。

これこそが「生きる意味」だとフランクルは教えてくれるのです。

フランクルの伝えたいことは愛に満ちた温かいものであり、また、同時にとても厳しいものであるといえます。

なぜなら、彼は私たちに「考えの転換や行動」を突きつけてくるから。

日々の辛さや困難に直面した時「人生があなたに求めているものは何か。それに全力で応えるのだ。諦めるか立ち向かうか、それは状況が決めるのではない。あなた次第だ!」というように。

スポンサーリンク

まとめ

強制収容所を体験し、心理学者としていかに生き残るためにはどうするべきかを考え抜いたフランクル。その答えは「人生から問われているものに気づき、それに全力で応えていく」というものでした。

私自身、困難に直面して辛さを感じている時、何度この本に助けられたかわかりません。

また、読めば読むほどに新しい発見もあり、何度でも繰り返し読みたくなる味わい深い本でもあります。

悩みや辛さを抱えている人、困難に立ち向かっている人、そんな全ての人にこの本は必ずや力を与えてくれるでしょう!

【参考文献】
・夜と霧(霜山徳爾訳/みすず書房/1956年)・夜と霧(池田香代子訳/みすず書房/2002年)
・共に生き、共に苦しむ 私の「夜と霧」(霜山徳爾/河出書房新社/2005年)
・フランクル『夜と霧』への旅(河原理子/朝日文庫/2017年)
・フランクル 夜と霧(諸富祥彦/NHK出版/2013年)

コメント