『オリエント急行の殺人』の感想・考察!
ここからは、本作に関する考察を含めた感想を述べていきたいと思います。
なお、記事の構成上ネタバレ要素が含まれていますので、未読の方はぜひ作品を読んでから続きをお読みください。
フィクションは無敵! 結末やキャラクター設定に込められた作者の思い
私は、この作品を読むたびに「フィクションは無敵だ」と感じます。
前半で触れたとおり、本作は「リンドバーグ愛児誘拐事件」を下地に創作されました。作中では、アームストロング誘拐事件の犯人として殺害されるラチェット(本名カセッティ)を、リンドバーグ事件の犯人に重ねています。
最終的に列車に乗っていた全員が「アイツなら殺されても仕方がないよね」という結論に至り、その終わり方には爽やかさすら感じます。仇討ちは見事成功し、凶悪犯は葬られてめでたしめでたしというわけです。
この作品を読み終えて「カセッティが殺されてかわいそう!」と思う読者も少ないでしょう。私も思いませんでした。ではそれはなぜなのでしょうか。
彼はとことん憎まれるだけのキャラクターとして作り上げられています。復讐を胸に秘めた犯人たちの証言はもちろん悪口のみですし、客観的なポジションのはずのポアロにさえ、ラチェットがカセッティだと認識する前からすでに悪口を言わせています。つまり、カセッティについては、「とにかく人間味のかけらもない救いようのない悪い奴」という徹底したキャラクター設定が行われているのです。
ミステリでは、「悪いヤツにも事情がある」という描かれ方がされる場合もありますが、彼には事情なんかありません。ただの悪いヤツです。だから12回も刺されるという残酷な殺され方をしても、誰一人同情してくれません。
この物語は一見、「法の裁きを逃れた悪人を、直接的に裁くことは許されるのか」というテーマが提示されているようにも思えます。同じように法の裁きを逃れた者を裁くストーリーとして、1939年に『そして誰もいなくなった』を発表していますし、クリスティー自身の中には常に、法の裁きと直接的な裁きについてのせめぎ合いがあったのかもしれません。
しかし、私はそんな複雑な議論を促すような物語ではないと思います。作者・クリスティーも一人の母親。幼子の命を奪ったリンドバーグ事件の犯人に対するやり場のない強い怒りを、ストレートに作品にぶつけたのではないでしょうか。
ポアロたちがあっさりと復讐を見逃すという結末にも、カセッティのキャラクター設定にもその思いが表現されていると感じます。
現代多くの人がツイッターで怒りのツイートをするのと同様に、クリスティーは作家として怒りを作品に乗せました。フィクションなら好きなようにできますし、思う存分中傷できます。それによって罪に問われたりもしません。作者の創造した世界で自由に思いを遂げられるのです。それを後世まで残る娯楽作品として昇華させたのですから、すごいの一言に尽きますね。
何度読んでもおもしろい! 列車の旅へのあこがれを誘う旅の描写の魅力
古き良き列車の旅の細部を描いているという点も、この作品の大きな魅力です。
1920~30年代当時に、クリスティーが実際に体験した列車の旅をもとに書いているわけですから、やはりその描写にはリアリティがあります。
食堂車での談笑しながらの優雅な食事シーンや、車掌にベッドの支度をしてもらうといった描写の一つ一つが、当時の列車の旅の様子をイメージさせてくれます。
私が個人的に大好きな食事そのものの描写があまりないのは残念ですが、車内の生活感や温度を感じさせる点はさすがクリスティーといったところ。
この作品を再読する際には、巧みに仕込まれた伏線を探しながら読むという方が多いと思いますが、オリエント急行の旅を疑似体験するという読み方もおすすめです。
映像化作品やオリエント急行について書かれた本なども参考にしながら、イメージを膨らませて楽しみましょう!
なぜか息の合った3人組の捜査が楽しい!
本作でのポアロの助手役は、ポアロの旧友で鉄道会社の重役ブークと、偶然乗り合わせた医師のコンスタンティンが務めています。
この3人はポアロを中心に見事にまとまり捜査を進めていくのですが、その様がなんとも微笑ましい。ブークもコンスタンティンも社会的地位は高い方だと思いますが、おごったところがなく人間味がある人物として描かれていて、3人のやりとりには温かみがあります。
また、この3人組のよい点は、それぞれの役割がはっきりしていることでしょう。ポアロはもちろん捜査上のリーダーとしての役割を担い、ブークは列車の責任者という権力を行使し車掌や乗客を動かします。
そしてコンスタンティンは医学の知識で遺体の状態などを調べ、情報を裏付けてくれます。この条件だけみてもまさにベストチームです。
真冬に大雪で動けない列車の中での殺人事件の捜査ですから、実際はなかなか大変な状況だったと思います。ただ探偵役の3人の相性の良さもあり、捜査の過程を描いた部分にはギスギスしたところがあまりなく、純粋に謎解きを楽しめる作品に仕上がっています。
多彩な人々をつなぐ「オリエント急行」と「アームストロング誘拐事件」
『オリエント急行の殺人』の舞台「シンプロン・オリエント急行」は、コンスタンティノープル(イスタンブール)とカレー間を結び、オリエント急行を代表する長距離路線。
しかし、作品が書かれた1930年代当時はこの路線以外にも、いくつもの姉妹線が走っており、ポーランドのワルシャワ・イタリア半島・ギリシャのアテネといったヨーロッパの隅々まで路線がつながっていました。
数多くの国を走り抜ける当時のオリエント急行の路線図を見ていると、作品中の登場人物の多様さとどこか重なるものを感じます。
ベルギー・ギリシャ・イタリア・フランス・イギリス・ロシア・アメリカ・ハンガリー・スウェーデン…。
主要な登場人物の出身国は実に様々です。ここまで出自がバラバラな人々をつなぐ舞台として、オリエント急行は何の不自然さもなく見事に機能しています。作中の乗客の多様さは作為的なものとはいえ、作品が発表された当時のこの路線の存在感と、その広がりが垣間見える舞台設定です。
そしてオリエント急行と同様に乗客たちをつないでいるのが、アームストロング家に起こった悲劇であり、主犯カセッティへの強い憎しみでした。
実際当時の長距離列車の旅は、現代とは違い、乗り合わせた人々の間に一時でも強いきずなを作る色濃いものだったそう。一見無関係に思える人々をつなぐ装置として、「憎悪」という強い感情と「オリエント急行」という舞台が絶妙にリンクしているように、私には思えます。
まとめ
『オリエント急行の殺人』は誰もが知る有名作品であるだけに、ネタバレの危険性が高い作品の一つです。
ただ再読が楽しい作品ということもあり、仮にネタバレしてしまったとしても、伏線の深読みや、オリエント急行の旅の世界観を味わうなど、作品の楽しみ方は無数にあります。
前半で触れた作品の背景や、作者クリスティー自身について、独自に研究して解釈を広げてみてもいいでしょう。
ぜひあなたなりのアプローチで自由に作品世界を楽しんでください!
※物語の人物名や固有名詞の表記は、「オリエント急行の殺人(山本やよい 訳/ハヤカワクリスティー文庫/2011年版)」を参考にしました。
【参考文献】
・オリエント急行の殺人(山本やよい 訳/ハヤカワクリスティー文庫/2011年版)
・オリエント急行殺人事件(安原和晃 訳/光文社古典新訳文庫/2017年版)
・アガサ・クリスティー完全攻略 決定版(霜月蒼/ハヤカワクリスティー文庫/2018年)
・イギリスのお菓子とごちそう アガサ・クリスティーの食卓(北野佐久子/二見書房/2019年)
・オリエント急行の旅(櫻井寛/世界文化社/1997年)
・ミステリ・ハンドブック アガサ・クリスティー(ディック・ライリー パム・マカリスター 編/森 英俊 監訳/原書房/2010年)
・アガサ・クリスティー自伝(下)(乾信一郎 訳/早川書房/1979年)
【参考ウェブサイト】
・ウィキペディア内「オリエント急行」
・ウィキペディア内「オリエント・エクスプレス ’88」
・ウィキペディア内「オリエント急行の殺人」
・ウィキペディア内「リンドバーグ愛児誘拐事件」
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