世界には時として「親子や兄弟姉妹」のそれぞれが偉大な作家という例があります。
たとえば、『三銃士』や『モンテ・クリスト伯』の作者として知られるアレクサンドル・デュマ・ペールと、『椿姫』の作者であるアレクサンドル・デュマ・フィスは親子で文学史に名を残しています。
そして、今回ご紹介する『嵐が丘』も、作者のエミリー・ブロンテは「ブロンテ三姉妹」と呼ばれる文学者姉妹の一人として知られているのです。
本記事では、そんな「世界三大悲劇」の一角にも数えられるこの作品を、様々な視点から解説していきます。
なお、この記事では1ページ目にあらすじや作品情報・トリビアといった解説文を、2ページ目は書評(ネタバレあり)を掲載しています。
嵐が丘の作品情報
まず、本作に関する基本的な作品情報を整理しておきます。
作者 | エミリー・ブロンテ |
---|---|
執筆年 | 1847年 |
執筆国 | イギリス |
言語 | 英語 |
ジャンル | ゴシック小説 |
読解難度 | やや読みにくい |
電子書籍化 | 〇 |
青空文庫 | × |
Kindle Unlimited読み放題 | 〇 |
嵐が丘の簡単なあらすじ
自称人間嫌いの紳士・ロックウッドがヨークシャの荒野に立つ屋敷〝嵐が丘〟を訪ねてきた。そこには、主人であるヒースクリフと義理の娘・キャシー、そして低俗な男・ヘアトンが暮らしていた。
その奇妙な関係に興味を抱きつつ泊まったその晩のこと。彼はキャサリン・リントンと名乗る亡霊を目撃する。20年も彷徨っているのだと言う亡霊を前に、粗暴で愛とは無縁な性格に見えたヒースクリフが愛を叫びながら咽び泣いていたのだ。
キャサリンやヒースクリフと共に育った召使い・ネリーの回想によって、嵐が丘に起きた出来事が明かされていく。
ヒースクリフは、かつての嵐が丘の当主であるアーンショウがリヴァプールで拾ってきた孤児だった。肌も髪も黒く、ボロの服を纏ったジプシーのような子供だったのだ。当主の加護もあって嵐が丘で暮らすようになるが、アーンショウ家の息子ヒンドリーから虐められており、当主の死後は下働きにさせられてしまう。しかし娘キャサリンだけはヒースクリフの味方で、二人は多くの時間を共に過ごして育った。
ある日、いつもの悪巧みで隣家のスラッシュクロスの庭に忍びこんだ二人だが、キャサリンが番犬に噛まれて捕まってしまった。その時からスラッシュクロスで暮らすリントン家のエドガー、イザベラとの交流が始まる。
キャサリンは変わり、ヒースクリフは孤独を感じていく。そしてキャサリンはある決断をし、ヒースクリフは嵐が丘を飛び出し姿を消したのだった——。
嵐が丘、スラッシュクロスと二つの館で起きる「愛と復讐の物語」が幕を開ける。
こんな人に読んで欲しい
・復讐劇に興味がある
・狂うほどの恋愛がしてみたい
・どっと疲れる作品を読んでみたい
嵐が丘の作者エミリーや原題、執筆当時と現代での評価の違いについて解説
先にも触れましたが、本作を読むにあたっては知っておくとより楽しめる知識というものがいくつかあります。
以下で順を追って解説していきましょう。
世間から隔絶されたエミリー・ブロンテの人生は文学への情熱を高めた
1818年、エミリー・ブロンテは牧師の娘として生まれます。
エミリー・ブロンテ(出典:Wikipedia)
彼女が育ったイギリス・ヨークシャーの町ソーントンは暗く寂しい村で、厳格な父をもつブロンテ一家は娯楽とは無縁な生活を送っていました。
エミリーを含めた六人の姉弟は、荒野の大自然を前に空想遊びや詩を描いて過ごすほかにありませんでした。
彼女は20歳の頃に音楽学校で、24歳の頃にベルギーの寄宿学校での教師経験がありますが、どちらも半年程で帰国。
後にブロンテ三姉妹と呼ばれる姉・シャーロットと妹・アンが住み込みの家庭教師として働いていたためか、エミリーは自宅と牧師館の家事を任されていたのです。
また、その頃父が病を患っていたことに加え、兄・パトリックは画家の夢破れて酒場狂いをしており彼女は彼らの世話に奔走します。
しかし、このような世間と隔絶した環境は、かえってエミリーの文学に対する情熱を高めていくことになります。
シャーロットが自身の経験を活かして『ジェーン・エア』など数多くの名作を生み出していたのに対し、本作にエミリーの経験は何一つ反映されていないであろうと推測されているほど。
彼女は本作の執筆から一年後に早逝してしまっており、作品について取材の記録もないことから執筆の背景などは明らかになっていません。が、あまりに荒々しい本作の内容は、現代でよく知られるエミリーの生涯とはかけ離れています。
そのため、逞しい想像力によって構築された傑作であると称されました。
エミリーは詩や小説の執筆に人生を捧げて生涯独身でした。しかし、最期はパトリックの葬儀に参列した際にもらった風邪をこじらせ、肺炎を起こした為に30歳の若さで命を落としたのです。
本作が注目され、評価され始めたのはエミリーの没後二年ほど経ってからだといいます。牧師の家に生まれ熱心に信仰を有していたエミリーでしたが、その反響を知ることなく亡くなってしまったのはなんとも皮肉な話といえましょう。
原題『Wuthering Heights』は本来「ビュービューと風が吹く丘」という意味
本作の原題である”Wuthering Heights”を直訳すると「ビュービューと風が吹く丘」という意味になります。日本では、これを『嵐が丘』と訳した題名でよく知られています。
本作の翻訳者は、シェイクスピアの『リア王』などを訳したイギリス文学者の斎藤勇。
彼は本作のタイトルを訳す際、エミリーの言語センスと作品の内容を重視しました。
そもそもWutheringとはエミリーの造語で、元の単語はwuther(意味:(風が)激しく吹く)であると言われています。斎藤勇は、これを〝嵐〟と例えました。
なぜそう訳したかは、本作の登場人物が織りなす物語の内容に由来すると考えられます。非常に激しい性格であるキャサリンとヒースクリフを中心に繰り広げられる物語で表現されているのは、「人間の愛情や憎悪」。その憎しみは暴力という手段で描かれるほどであり、物語は〝嵐が丘〟の中にあるともいえましょう。
作品の内容をよく押さえたこの訳は、現代でも歴史的名訳と評されています。
嵐が「丘」のモデルはエミリーの故郷・ハワーズ
嵐が「丘」のモデルとなった場所は実在しており、エミリーの故郷にある「ハワーズ」という荒野であるとされています。さらに、ハワーズの奥地を進むと「トップウィゼンズ」という廃墟があり、そこが本作の舞台となった場所と考えられています。
現代では「ブロンテ姉妹ゆかりの地」としてイギリスの観光名所になっており、世界中のファンが訪れて賑わっています。
が、170年以上の時が経過してもなお、「嵐が丘」として描かれた美しい大地、自然は不変。その証拠として、エミリーが作中でハワーズを表現している一節をご紹介しましょう。
この土地は美しい!イングランドじゅうを探してみても、ここまで完全に騒がしい世間から隔絶されている場所は見つかるまい。まさに人間嫌いの天国だ
エミリーの生涯が「陰気な田舎の町に閉じ込められた苦しいもの」であったことはすでに触れました。
つまり、本作はエミリーにとって「世界の全て」だったハワーズで生まれた、彼女の人生における集大成のような作品であったといえましょう。
執筆当時は酷評されたものの、現代では世界中で愛される作品に
本作の出版当時(イギリス・ヴィクトリア王朝が君臨していた19世紀中頃)は、登場人物の荒々しい性格や、婚姻後も続く三角関係という非道徳的な内容が社会や読者からは到底受け入れられず、「最悪の小説」とまで酷評されました。
女性に対して特に保守的な道徳観を有していた当時、小説は「人生の手引書」のような役割を果たしていました。一般的な作品には良家の子女が読み、手本となるような女性像が多く描かれていたわけですから、それとはかけ離れていた本作は受け入れられなくて当然だったという事情があります。
また、「小説家」という職業そのものも女性の仕事としては認められず、エミリーは「エリス・ベル」という男性風のペンネームを使用して本作を出版したほど。
彼女の作品も、生き方も、当時の人々にとっては刺激が強すぎたのでしょう。
しかし、20世紀に入って小説や女性に対する認識が変化してくると、本作は「不思議だが興味深いストーリーを有する作品」として注目されました。年を重ねるごとに評価は高まり、現代では世界中で翻訳され、愛読されています。
著名な小説家の中にも『嵐が丘』のファンは多く、サマセット・モームは「世界十大小説」の一つに本作を選んでいます。また、世界中のティーンエイジャーに絶大な人気を誇った『トワイライト』シリーズの作者・ステファニーメイヤーもその一人で、シリーズ3作目の『エクリプス』は本作を題材にしていると考えられています。
もちろん日本も例外ではなく、現代でも「イギリス文学の古典作品」として必ず名前が挙がる一作となりました。
また、2015年の舞台では堀北真希さんがキャサリンを好演し、ずいぶんと話題になったものです。ちなみに、この舞台でヒースクリフ役を演じたのは、後にご結婚された山本耕史さん。
そのため、嵐が丘のファンは、「現世でキャサリンとヒースクリフが結ばれた!」と騒いだものです。
酷評された時代を経て、現在ではこのように世界中で愛される小説として名を馳せています。
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