毎日毎日同じことの繰り返しで、なんだかつまらない…。
そう感じることはありませんか?
そんなあなたにおすすめしたいのが、カナダが生んだ赤毛のヒロインを主人公とする物語『赤毛のアン』です。
「女の子向けの児童文学」と決めつけずに、アンの日常をぜひ一緒に楽しんでみてください。
読み終えた時、当たり前の日常の見え方が少しだけ変わってくるかもしれません。
今回は、前半であらすじや作品情報、後半で感想(ややネタバレの要素あり)を述べていきます。
興味を持っていただけたら、ぜひ作品を手に取ってみてください。
赤毛のアンの基本情報
まず、本作に関する基本的な作品情報を整理しておきます。
作者 | L.M.モンゴメリ |
---|---|
執筆年代 | 1904年(出版年は1908年) |
執筆国 | カナダ |
言語 | 英語 |
ジャンル | 児童文学 |
読解難度 | 読みやすい |
電子書籍化 | 〇 |
青空文庫 | × |
Kindle Unlimited読み放題 | 〇 |
アンの11歳~16歳までの少女時代を描いた、記念すべきシリーズ第一作目の作品です。
日常を描いた物語であるということと、読みやすく翻訳されている児童文学ということで、古典に不慣れでも読み進めやすい作品だと思います。
さらに、本作は電子書籍として読むことも可能で、その際はAmazon発売のリーダー「Kindle」の使用をオススメします。
加えて、Amazonが提供する読み放題サービス「Kindle Unlimited」にも対応しています。
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赤毛のアンの簡単なあらすじ
カナダの東部に浮かぶ小さな島、プリンス・エドワード島。この島にある農村アヴォンリー村に暮らす、マシューとマリラ兄妹は、働き手となる孤児の男の子を引き取ることにします。
しかしなんと、当日駅で待っていたのは11歳の「女の子」でした。
思わぬ行き違いに狼狽する兄妹でしたが、その少女にどこか惹かれるものがあり、引き取ることを決めます。
その少女の名前はアン・シャーリー。トレードマークの赤毛がコンプレックスの女の子は、類まれな想像力と個性の持ち主でもありました。
マシューとマリラとともにグリーンゲイブルズ(緑の切妻屋根の家)に暮らしながら、村の学校に通うことになったアン。
さまざまなトラブルを巻き起こしながらも、級友たちや腹心の友ダイアナとの友情を育んでいきます。
一方で、赤毛をからかってきたギルバートに対しては素直になれず、なかなか仲直りができないまま。勉強面でよきライバルの二人は、よき友人にもなれるでしょうか。
成長したアンが重大な選択をしていくまでの6年間を描いた物語です。
こんな人に読んでほしい!
・カナダの文化に興味がある
・毎日がつまらなく思える
赤毛のアンの時代背景や舞台、作者に関する解説!
近代化が進む19世紀末のカナダを舞台に、先進的な女性観も描かれる
シリーズ第一作目となる『赤毛のアン』の時代は、1880~1890年代あたりに設定されています。日本で言うと明治時代ですね。
この時代のカナダでは、初の大陸横断鉄道が開通するなど、大きな技術の革新が進んでいました。
実際のプリンス・エドワード島の暮らしにも電話や電灯が登場してきています。電灯の灯る町の様子は、物語中でも州都シャーロットタウンの情景として描かれていて、当時の時代の移り変わりや生活様式の変化が垣間見えます。
女性参政権についての議論が活発化するなど、地位の向上に向けた動きもあった時代でしたが、当時「女性には有料の高等教育などいらない」と言われ、村の学校を出たら結婚を考えるのが一般的でした。
しかし、作中のマリラは「女性も自分で自分を養える能力は身につけておいたほうがいい」という、当時としては先進的な考えの持ち主。そのおかげでアンはクイーン学院に進むことができ、のちの進路にもつながっていったのです。
作品に登場する「プリンス・エドワード島」はカナダに実在
物語の舞台プリンス・エドワード島は、カナダ東部に浮かぶ実在の島。
1873年にカナダ連邦に加わったこの島は、島全体が一つの州になっています。
島の名前から「プリンス・エドワード島州」といい、カナダで一番小さな州であり、同時に最も人口が少ない州としても知られています。
アンの世界そのままに自然豊かな島の主な産業は、農業・漁業・観光業で、『赤毛のアン』の舞台のモデルとなった場所も有名な観光スポットです。
作者のモンゴメリ自身もこの島で生まれ育ちました。
結婚後は島を離れて暮らしましたが、休暇などでたびたび訪れており、彼女のお墓も島にあります。
ちなみにモンゴメリの祖先はスコットランド系の移民で、1770年代という初期に入植し、プリンス・エドワード島の北部地域を開拓しています。
作者・モンゴメリの生涯が反映された作品
作者のL.M.モンゴメリは、1874年、プリンス・エドワード島で生まれました。幼くして母と死別し、父と離れて島内のキャベンディッシュで祖父母に育てられます。
このキャベンディッシュがのちにアンたちの暮らす、アヴォンリー村のモデルになりました。
アンの家のモデルになったとされる家(出典:Wikipedia)
モンゴメリは幼いころから詩や文章を書くことに夢中になり、15歳ごろには書いたものを出版社や新聞社に送るようになります。突き返されることもあったようですが、物語を自分の手で生み出すことを少女のころからしていたんですね。
創作メモのようなものも作成していて、思いついたイメージや設定をメモし、創作に役立てていたそう。『赤毛のアン』もそうした創作メモの一文から誕生しています。
1893年、19歳のモンゴメリはプリンス・オブ・ウェールズカレッジ(現在はプリンス・エドワード島大学に統合)に進学。
教員の資格をとり、さまざまな学校で教師として働きました。忙しく働く傍ら時間を作って執筆活動をし、文章を書く腕を磨いていきます。
教師の道を断念してからも、家業を手伝ったり、新聞社で働いたりしながら物語の執筆を続けました。
そうして徐々に新聞や雑誌に掲載されるようになり、作家としての道が開けていったのです。別の仕事をしながらの執筆という、余裕のない暮らしの中でも、物語を書くという仕事に喜びを見出していたといいます。
そんなモンゴメリが『赤毛のアン』の執筆に取り掛かったのは、1904年。彼女が30歳のころでした。
1906年に作品が完成し、1908年にようやくアメリカのL.C.ページ社から出版。大ベストセラーとなり、今日まで読み継がれています。
『赤毛のアン』の出版後、かねてから婚約していたユーアン・マクドナルド牧師と結婚。牧師の妻として子育てや家事もこなしながら、赤毛のアンシリーズをはじめとする多くの作品を書きあげ、1942年に亡くなりました。
邦訳版の翻訳者・村岡花子氏の存在は大きい
日本で『赤毛のアン』を語るときに、絶対に外せない人がいます。それは翻訳家の村岡花子。作品を翻訳し、日本に初めてアンの物語を紹介した人物です。
村岡花子(出典:Wikipedia)
2014年のNHK朝の連続テレビ小説、「花子とアン」のヒロインのモデルとしても知られています。
村岡花子は1893年、山梨県の貧しい家庭に生まれました。カナダ人宣教師たちが設立した女学校「東洋英和女学校」に、10歳で給費生として編入し、「若草物語」などの海外文学作品に夢中になります。
10年ほどの寄宿舎生活を通して、カナダ人教師たちとの絆をはぐくみ、カナダの文化も学びました。
花子がアンの物語と出会ったのは1939年、46歳のときのこと。友人のカナダ人宣教師ミス・ショーが、帰国の前に花子に原書を託していったのです。
時代は太平洋戦争の直前で、日本と欧米諸国の関係が悪化してきていたころでした。花子は戦況が悪化し、空襲が激しさを増す中でもこっそりと翻訳を続けます。
戦後なかなか日の目を見なかったアンの物語でしたが、とうとう編集者の目に留まり、出版が決定。タイトルを『赤毛のアン』とし、1952年に三笠書房より出版されました。
花子は赤毛のアンシリーズの第10作目「アンの娘リラ」までを翻訳。「女性や子どもたちが夢と希望をもって健やかに生きていってほしい」という思いを胸に、その晩年まで仕事を続けました。
ちなみに第11作目の「アンの想い出の日々」の新潮文庫版は、花子の孫の村岡美枝さんによって翻訳されています。
後世でも評価され、数々の邦訳版が出版された
1908年に出版されると、『赤毛のアン』は大ベストセラーとなり、多くの言語に翻訳されていきました。
オリジナルの英語版でもいくつもの版を重ね、現代まで読み継がれています。また、作品の時代背景、生活様式、女性の立場、教育制度についてなど、シリーズの世界に関する研究も幅広く行われています。
日本では、村岡花子をはじめ、多くの翻訳者によって翻訳されてきており、キャラクターの口調や、アンの名付けた場所の名称など、それぞれの翻訳者による違いを比べて楽しむことができます。
少女向けの児童文学というイメージの強い作品ですが、脳科学者の茂木健一郎さんや「赤毛のアン注釈版」(原書房)を翻訳した山本史郎さんなど、男性読者も作品の魅力を発信しており、老若男女問わず楽しめる古典文学作品としても注目されています。
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