『ライ麦畑でつかまえて』感想・考察
出典:wikipedia
さて、『ライ麦畑でつかまえて』の書評などをみていくと、主人公のホールデンにみられる、いわゆる中二病・サイコパス的な点ばかりに焦点を当てているものも散見される。
しかし、本作がただのサイコ的作品でないことは、疑いようのない事実である。
おそらく、世の中にあふれている欺瞞や矛盾を見逃すことができずにつっかかっていくその姿が、青春時代の自分に重なるということで、そのような解釈になるのかもしれない。
ただ、そもそもこのことを「中二病的だ」と断罪すること、それ自体に我々の醜悪さが内包されているように感じられる。
作中でのホールデンの解釈は、見て見ぬふりをすれば大抵はそのまま過ごせるといったものであるが、冷静に考えてみればなるほどと思わされるものも多い。
実際に、『ライ麦畑でつかまえて』翻訳の第一人者として知られる野崎孝氏は、このように解説している。
純潔を愛する子供の感覚と、社会生活を営むために案出された大人の工夫との対立。
子供にとって、夢を阻み、これを圧殺する力が強ければ強いほど、それを粉砕しようとする反撥力は激化してゆくだろう。
主人公ホールデンの言葉や行動が誇張にみちて偽悪的なまでにどぎついのは、大人が善とし美としている因襲道徳や、いわゆる公序良俗なるものの欺瞞性を何とかしてあばこうとする彼の激情の所産である。
出典:https://www.hakusuisha.co.jp/news/n12510.html
つまり、この小説は「子どもの純粋さ」と「大人の狡さ」の対立構造を軸に、進行していくのである。
ただし、世間で「子どもの純粋さ」が許されるのは、子どもの間だけなのである。
実際に、ホールデンは作中の節々で「大人の狡さ」を「拝借」していたこともある。
彼は間抜けではないがゆえに、生きるためには狡さが必要であることを痛感していたのである。こうして、ホールデンは生きるすべを学んでいく。
これはあくまで私の想像だが、ホールデンはその後心の中にわだかまりを抱えながらも、それを爆発させることはなく生きていくのではないか。
というよりは、むしろ爆発させるのであれば彼は死ぬよりほかに道がないのである。
世の中の方向性が変わることはない。そうなれば、自分が変わるか、次の世界に賭けるか、選べる「人道的」な選択肢は実質二択である。
もう一つの選択肢として「世の中の狡さを排除する」という選択肢もなくはないが、これは人の道を外れることを意味している。
なぜなら、それはすなわち権力そのものを排除するということを意味しており、そのためにはリンカーンやケネディを暗殺しなければならないからである。
もっとも、この場合も最終的には道半ばで死ぬことになるが。
つまり、『ライ麦畑でつかまえて』のストーリーは、生きるために心の感受性を鈍らせ、欺瞞や矛盾を受け入れるという「心の劣化」が起こる直前のもっとも不安定な状態を描き出したものであるといえよう。
しかし、たいていの「中二病的状態」は、むしろ世間との調和を完全に放棄し、自分の世界を作り上げてそこに安住している状態だと考えている。
それは『ライ麦畑でつかまえて』で描かれている主題とは、むしろ逆の精神構造であるといえよう。
まとめ
つい語りに熱が入ってしまいましたが、いかがだったでしょうか。
この小説が有害図書に指定されたことがあるというのも、わかるような気がします。
なぜなら、サリンジャーによって、「世の中の欺瞞や矛盾と戦う」という選択肢を与えられるからです。
もちろん、ホールデンはその戦いに限りなく敗北しかかっているのですが、そこを読み落としてしまうと「これでいいのか」と合点してしまうのです。
すると、あとは殺人犯が誕生するのみです。
そのため、読者として想定されているのは、一般的には20代まででしょう。それ以上の年齢の方が読んでも、ただただ滑稽にしか映らないと思います。
そして、できれば世の中と折り合いをつけるのを苦労している方が読むほうが、良くも悪くも大きな影響を受けることになるでしょう。
私の場合は「心の劣化」を選択している真っ最中ですが、この作品からアメリカ近現代文学にハマり始めたのも事実です。
読みやすいといえば読みやすいので、入門書にも最適。
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