『犬神家の一族(原作)』のあらすじや感想、解説!(ネタバレ有)諏訪をモデルに繰り広げられる事件を描いた作品

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『犬神家の一族』の感想・考察!(ネタバレ有)

ここからは、本作を読んだうえでの感想と解説を加えていきます。

なお、内容のネタバレにはご注意ください。

東京と岡山を舞台に「都市」と「都市以外」を描いた横溝正史

皆さんは「横溝正史」と言えば、何を思い浮かべるでしょうか。

金田一耕助の活躍。凄惨な殺人事件。そして、その舞台は岡山県の村落か孤島。

そんなイメージが浮かぶ方も多いかもしれません。

実際、岡山県が舞台の殺人事件を描いた『本陣殺人事件』『獄門島』『八つ墓村』はいずれもそんな小説でした。

ところが、金田一耕助は岡山だけでなく東京でも活躍しているのです。短編集『金田一耕助の冒険』は、ほぼ東京が舞台でした。その他にも『白と黒』『悪魔の降誕祭』『七つの仮面』など。

実は、作品の総数を見ていくと、彼が東京で活躍した物語のほうが多いのです。

しかし、そもそもなぜ横溝は同じ金田一耕助の登場作品で「岡山」と「東京」を使い分けたのでしょうか。

単純に言うなら「『都市性』をテーマにしているかどうか」かもしれません。

たとえば、『獄門島』の物語は、舞台が狭い島の中に限られます。そこで展開されるのは、島の土着に縛られた人間関係。「古くからの因縁」という言葉がぴったりくるかもしれません。

それに対して、東京には土着がありません。東京の街(それもダークサイドが多い)に流れ着いて、また去ってゆく人びと。人間関係も、また「古くからではない」ものになります。

『犬神家の一族』は「都市型」の作品

横溝の「舞台選び」に関する考え方を整理できたところで、本作がどちらのパターンにあてはまるかを考えてみましょう。

本作の舞台は東京でも岡山でもなく「諏訪」です。では、諏訪は「都市」なのか「都市以外」なのか。

結論から言えば、当時の「那須湖畔」は地方の大都市です。しかし、一方で那須湖畔の街の様子は、ほぼ描写されることはありません。

物語が進むのは、犬神家の屋敷内にほぼ限定されると言っていいかもしれません。

(「那須大社」という神社や、「那須湖」などはもちろん出て来ますが、あくまで焦点は犬神家の内部にあてられています。金田一耕助が滞在する「那須ホテル」も、犬神家を描写するための視点として使われています)

つまり、この物語はあくまで「犬神家の一族」の物語なのです。

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ならば、本作は「古くからの因縁」に縛られた人びとの物語、つまり「都市以外」を描いた物語なのでしょうか。

しかしながら、それは違うと考えます。

そもそも犬神家は、明治になって犬神佐兵衛が興した家でした。その佐兵衛自身、製糸業の発展によって財を成すまでは、どこから来たともわからない流れ者の孤児だったのです。

そして彼の成り上がりは、そのまま明治以後の日本の近代化と重ねることができます。

便宜上、近代化を「合理的な考え」とざっくり言いかえることにしましょう(合理性を追求したのが近代日本の姿であり、彼もまたそのために繁栄してきたから)

こうした彼の経験則をもとにしてか、犬神家の一族は終始「合理的な考え」によって支配されています。(愛や憎しみも、個人のものとして「合理的」に描かれます)

ここから、『犬神家の一族』は「合理的なもの」、つまり近代を描いた小説であったことが分かります。

そう考えると、物語の図式としては「都市」を描いた作品とも言えるでしょう。

「那須」という架空の都市に描かれた、個人と個人の物語。

ここで、「なぜ『那須』という架空の地名が使われたか」という問題に立ち戻ってみましょう。

『犬神家の一族』は、日本の近代化をテーマにしています。しかしそれは、同時に日本の挫折(=第二次大戦の敗北)を描くことでした。

そうした日本の縮図を書くときに、東京は混乱しすぎており、岡山の孤島は「因習」から脱するのに充分ではありませんでした。

日本そのものを描くため、日本のミニチュアである架空の都市がどうしても必要だったのでしょう。

「那須湖畔」という「都市」は、物語のテーマをあらわすためにつくられた、一種のユートピアだったのかもしれません。

美しすぎて不気味なヒロイン?野々宮珠世

『犬神家の一族』のヒロイン、野々宮珠世。作中で彼女は次のように描写されます。

少し長めにカットして、さきをふっさりカールさせた髪、ふくよかな頬、長いまつげ、格好のいい鼻、ふるいつきたいほど魅力のあるくちびる——スポーツドレスがしなやかな体にぴったり合って、体の線ののびのびとした美しさは、ほとんど筆にも言葉にもつくしがたいほどだった。

そして、金田一耕助をして「美人もここまでくるとかえって恐ろしい。戦慄的である。」とまで言わせます。

この「恐ろしい」ヒロイン像は、とくに物語の前半に強調されます。

まず、犬神佐兵衛の遺言書によれば、珠世が佐兵衛の孫三人(佐清、佐武、佐智)の誰かと結婚すれば、全財産を相続できることになっていました。

三人のうち誰を選ぶかは、珠世の自由意思にまかされます。しかし三人の誰も選ばなかった場合、珠世は相続権を失います。

一方、三人が三人とも死亡した場合、彼女は無条件で相続人となることができます。

ここから、「佐清、佐武、佐智を殺すとすれば、珠世ではないか?」という疑いが起こります(というより、作者が読者の目をその方向にやろうとしています)

実際、珠世は強い女性でした。

ゴムの仮面をかぶった佐清に対しても、早くから「偽物ではないか?」という疑念を抱きます。そのために、銀の懐中時計を渡して指紋を採集しようとしたり。「那須大社」に奉納されている手形と、「佐清と名乗る男」の指紋を比較しようとそそのかしたり。

「待っているだけ、守られるだけ」のヒロインではないのです。

珠世は、ひとりで自動車を運転し、ボートで那須湖に漕ぎ出す活動的な面も持ちます。ここから、彼女は「新時代の女性」であるとも言えるでしょう。

作者も、中盤くらいから、珠世の愛らしさをどうしても描写してしまいます。珠世の強さや魅力が、「怪しい」という表現を越えてしまったのでしょう。つまり、彼女は魔性の女ではなかったのです。

しかしながら、物語の終盤近くに「珠世も、佐兵衛の実の孫だった」という事実が明らかになります。

つまり、彼女も〈犬神家の一族〉だったのです。ここに来て、本書のタイトルに隠された意味がわかってきます。

この物語は、徹頭徹尾〈犬神家の一族〉を描いたものだったのです。

クライマックスにおいて、珠世はそれまで隠していた「可愛らしさ」をあふれ出させます。

そして、自分の結婚相手として佐清を選びます。それは決して幸せな選択ではありませんでした。

しかし、珠世は自分の選んだ「愛」のために、ためらうことがありません。やはり珠世は強い女性です。そして、この物語が個人の「愛」の話であることの証明であります。

犬神家がこれからどうなってゆくのか。

決して明るい未来は予感されていないけれど、それでも、珠世と佐清ならば大丈夫、と思わせて、このロマンは巻を閉じるのです。

もうひとりの「強く、愛にみちた女性」の死とひきかえに……。

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まとめ

『犬神家の一族』が推理小説として優れているのは当然です。

しかしそれだけではない、人間の「愛」について書かれた物語であります。そこに読者は、限りない「懐かしさ」を覚えるかもしれません。

現在の目からはシンプルな推理小説かもしれませんが、心かきむしられるような読書体験をしたいかたには、是非おすすめです。

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