梶井基次郎の短編『檸檬』のあらすじや内容、舞台の解説!作中に登場する「檸檬」は何を意味している?

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檸檬の感想・考察(ネタバレ有)

ここからは、本作に関する考察を含めた感想を述べていきたいと思います。

なお、記事の構成上多くのネタバレを含みますので、その点はご了承ください。

「檸檬」とは「新しい芸術」の象徴

本作のタイトルであり、作中でもキーアイテムとして登場してくる「檸檬」。

この果物は、「新しい芸術」を象徴しているのではないかと、私は考えます。

丸善を訪れた「私」は、画集の棚の前に行き「日頃から大好きだったアングル」の本を開きますが、「一層の堪えがたさのために置いてしまった」。

つまり、典雅なアングルの絵をもってしても、「私」の倦怠は癒せないのです。

また「私」はこうも言います。

なぜだかその頃私は私はみすぼらしくて美しいものに強く惹きつけられたのを覚えている。風景にしても壊れかかった街だとか…(後略)…

そのほか「私」が好むのは、安価な花火やびいどろ、街の裏通り。

こう言った感覚は私個人としてもよく分かるような気がします。元気のない時は荘厳なオーケストラより、しんみりしたピアノ曲を聴きたくなるような感じでしょうか。

つまり、疲れ切った「私」の心を癒してくれるのはアングルのような荘重な芸術ではなく、もっと身近な自分の感性に訴えかけてくるもの。そう、たとえば一顆(いっか)の檸檬のような。

丸善の画集たちは「私」にとって「重苦しい」もの。それらは既に権威づけられてしまった「古い芸術」だからです。

そうした芸術作品によって癒せない「私」の空虚を、一顆の檸檬が満たしてしまう。

このように、本作における「檸檬」とは、権威的な芸術へのアンチ・テーゼとしての「新しい芸術」の象徴だといえるでしょう。

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本作の凄さは「想像力」にある

梶井の作品は短編仕立てのためか、大掛かりな筋の無いことが特徴です。

彼が小説の中で語るのは、例えば「一個の檸檬」であったり、冬の衰弱した蠅のことだったりと (『冬の蠅』)、取るに足らない些末なこと。

しかし、だからこそ彼の小説はスゴイのだと思います。

なぜなら、日常的なものの捉え方こそ、その人の感性がもっとも端的に現れるから。

私なら檸檬を見ても、

「レモン絞った唐揚げが食べたいなー、でも汁かかりすぎて衣がベチャってするのはキライなのよね」

とお腹を鳴らしておしまいです。これではTHE・凡人の感性。

小説の素晴らしさとは、「何を」書くかではなく、「どう」表現するかに掛かっています。

店に並ぶ檸檬は、もしも主人公ではない別の人に買われて行ったならば喫茶店のレモンスカッシュとして女学生の喉を潤していたのかも知れない。

その檸檬が、主人公の空想によって丸善を破壊する凶悪な爆弾になってしまう。

ありふれたモチーフからどこまで想像力を飛翔させられるか。それが優れた芸術家の条件であるとするならば、梶井基次郎は間違いなく一流の作家だと言えるでしょう。

まとめ

鋭敏な感性で青年の焦燥と不安を描き出した作家・梶井基次郎。

「あらすじは知ってるけどつまんなそう」「昔流し読みしたけど分からなかった」

そう思っている人にこそ読んでほしい。繊細な文章と奇抜な発想の織り成す彼の作品世界に、ぜひ触れてみてください。

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