「斜陽族」を描いた滅びの文学!太宰治『斜陽』のあらすじや感想、解説・考察

斜陽 表紙日本文学
出典:Amazon
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皆さんは「滅び」というものについてどのようにお考えですか?

私個人の意見を述べさせていただけば、「滅び」は物悲しさを感じさせる一方で、この上のない「美しさ」を合わせ持つ現象であると考えています。

このサイトで以前紹介した「平家物語」で描かれているように。

そこで、私の感じる「美しい滅び」を描いた文学作品として、太宰治の『斜陽』という小説を取り上げてみたいと思います。

1ページ目で執筆背景や作品情報の解説を、2ページ目で作品のあらすじや感想を述べていきますので、よろしくお願いします。

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斜陽の作者や基本情報

まず、本作に関する基本的な作品情報を整理しておきます。

作者   太宰治
執筆年  1947年
執筆国  日本
言語   日本語
ジャンル 長編小説
難易度  読みやすい
備考   青空文庫閲覧可
この作品は、敗戦国となった日本の戦後社会における「貴族」たちの生きざまを描いたものです。
先ほどから何度も述べているように、基本的には「滅び」を主題とした作風で彩られており、太宰治という人物が眺めた戦後感をありありと感じることができます。

斜陽の簡単なあらすじ

終戦から間もない1945年。

かつて裕福な一家で生まれ育ったかず子は、父の死や戦後の没落でしだいに生活が困窮していきました。

彼女とその母は生活の苦しさから東京の家を売却し、二人して伊豆の地で慎ましく生きていくことを決めます。

しかし、没落していく彼女たちは周囲からもしだいに人が離れていき、親戚筋の人物たちからもかつては考えられないような仕打ちを受けることになるのです。

誇りある名家の娘として屈辱を覚えるかず子でしたが、没落に耐え忍びながら日々を送っていきます。

そんな最中、かつて戦場に向かっていった弟の直治が突如として帰国してきました。

ところが、帰国した彼は麻薬やアルコールに溺れており、家にはさらなる不幸が舞い込むのです。

こんな人に読んでほしい

・没落にある種の美しさを覚える人

・太宰の軟弱感が苦手な人

『桜の園』が好きな人

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斜陽の時代背景・読み方の解説

太宰治 写真太宰治(出典:Wikipedia)

次に、本作の時代背景や読み方の解説を行っていきます。

この作品は、「敗戦国日本の戦後」と「貴族の没落」という大きなテーマを理解することが肝要であり、その部分を重点的に解説していきますね。

GHQの農地改革によって地主や貴族が没落した時代

1945年、アメリカとの間に繰り広げていた太平洋戦争が終結し、日本は敗戦国となりました。

敗れた日本はアメリカを中心とした連合国軍の支配下に入り、これまで当然のように存在していた制度や概念が次々と廃止・変更されていくのです。

代表的なところでは「大日本帝国憲法」の撤廃などが分かりやすいでしょうか。

その中で、かつて日本に存在した「身分制度」も改革の対象になっていきました。

明治時代に入って「士農工商」の身分制度自体は廃止されたものの、依然として皇室関係者の一族を指す「皇族」や、大名などの名家を指す「華族」といった身分は存続しており、彼らは地主として力を維持していました。

しかし、『斜陽』につながる転機となったのは1947年にGHQの指導下で実行された「農地改革」が大きいでしょう。

これまでは地主が土地を所有して、彼らが小作人(実際に農業を行なう職員のようなもの)を雇用するという形で農業を行わせていました。

この制度は戦前から問題視されており、小作人をこき使って地主が肥えていくことを揶揄した「寄生地主」という言葉さえも誕生していたのです。

GHQは上記のような「不在地主(実際に農業を行わない地主)」から実質的にタダ同然で土地を強制的に買い上げ、小作人たちに分配しました。

これによって、本作で登場するかず子の一家のような人々は一気に収入を失っていき、日本から「貴族」が消えていったのです。

『斜陽』は、こうした時代背景の上に成り立つ作品であることを押さえておく必要があるでしょう。

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津島家の没落と愛人・太田静子の姿を合わせて描いた作品

この農地改革は、裕福なことで知られている太宰の生家・津島家で彼が直面した問題でもありました。

戦局の激化に伴い津島家へと疎開していた太宰は、農地改革の影響によって没落している実家を眼前で目撃したのです。

この光景が彼に与えたインパクトは大きかったようで、没落の様子をチェーホフの『桜の園』に登場する帝政ロシアの没落貴族に例えています。

しかし、太宰はその有様を悲嘆に暮れて眺めるのではなく、すぐさま物語として形作ろうと考えました。

そこで彼が考え付いたアイデアは、津島家の没落を当時愛人関係にあった太田静子という女性を主人公として描くというものだったのです。

太田静子太田静子(出典:Wikipedia)

静子はもともと名家の生まれでしたが、芸術に生き実家との仲も良好とは言えませんでした。

さらに、離婚や子供の早逝などを経験する波乱に満ちた生涯を送っており、同じような出自を持つ太宰に惹かれる心があったのでしょう。

もともと彼の著作を愛読していた静子は、既に妻帯者となっていた太宰と恋仲になっていきました。

この関係性は戦後まで続き、太宰は『斜陽』の執筆に伴って彼女の日記を大いに参考にしたとも言われています。

つまり、「没落していく津島家」「太田静子という女性」をモデルとして、両者を組み合わせて誕生したのがこの作品と考えられるのです。

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「斜陽族」という言葉を生み出すほどのベストセラーに

1947年に発表されたこの作品は、戦後社会において瞬く間にベストセラー小説となっていきました。

その影響は非常に広範囲に及び、「没落」という単語の意味が広く社会に浸透したほか、没落貴族を指す「斜陽族」という造語が誕生するほどでした。

この物語は時代性を色濃く反映した作品であり、当時としては非常に身近な作品であったため「没落していく自分に重ね合わせる」「没落していく人を憐れむ」「日本の没落にそのものに想いを馳せる」など、様々な読み方がなされていたことでしょう。

我々の立場からすると「没落」という現象は縁遠いようにも感じられますが、当時を生きる日本人は多かれ少なかれ誰しも「没落」を感じながら生きていたのです。

そう考えると、この作品が広く社会に受け入れられた意味が見えてくるのではないでしょうか。

ただし、太宰本人は奔放な恋愛遍歴があだとなって女性問題に苦しめられるようになり、最終的には出版翌年の1948年、晩年の彼を世話していた愛人の山崎富栄とともに入水自殺による最期を迎えるのでした。

正直に言って、太宰の女性関係は「奔放」という他なく、表現は悪いですが「こいつは死んでも仕方がねえな」と思わされました。

全てを詳細には語りませんので、気になる方はぜひ調べてみてください。

もっとも、聖人君主な文豪を探す方が難しいわけで、見方によっては彼もまた「文豪の資格」を兼ね備えていたともいえるでしょう。

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