春はあけぼの。やうやう白くなりゆく…
この書き出しから始まる王朝文学の最高傑作こそが、清少納言の描いた随筆『枕草子』です。
]紫式部の手掛けた『源氏物語』と並んで当代を代表する作品として語り継がれてきた本作は、現代に至るまで高い評価を獲得してきました。
本記事では、『枕草子』のあらすじや執筆背景、『源氏物語』との対比を記したのち、読了後の感想を記していきます。
枕草子の基本情報(電子化・読み放題対応状況)
まず、本作に関する基本的な作品情報を整理しておきます。
作者 | 清少納言 |
---|---|
執筆年 | 1001年ごろ |
執筆国 | 日本 |
言語 | 日本語(古文) |
ジャンル | 随筆 |
読解難度 | やや読みにくい |
電子書籍化 | 〇 |
青空文庫 | × |
Kindle Unlimited読み放題 | × |
清少納言(出典:Wikipedia)
なお、本作は電子書籍として読むことも可能で、その際はAmazon発売のリーダー「Kindle」の使用をオススメします。
枕草子の簡単なあらすじ
栄華を極めた平安貴族と当代の天皇たち。
彼らに仕える女房として才覚を発揮していた女性が、清少納言であった。
ある日、彼女が仕えていた一条天皇の中宮である定子のもとに、兄の藤原伊周から大量の紙が届けられた。
定子が「これに何を書けばいいのかしら?」と清少納言に尋ねたところ、彼女は「枕でございましょう」と答えます。
すると、定子は「それなら、この紙はあなたにあげよう」といい、清少納言の手元には尽きるほどのないほどの紙が残されたのです。
しかし、彼女は「私は『枕』を書くほどのものではない」と考え、あれこれと日常の思いや出来事をひたすらに書き尽くすこととしました。
こんな人に読んでほしい!
・平安貴族たちの日常に興味がある
・他人のブログや日記を読むのが好き
・京都の風景や雰囲気が好き
枕草子の時代背景や作者の境遇、後世の評価を解説!
先ほども少しふれたように、本作の内容そのものは比較的理解しやすい一方、清少納言が生きた世界を把握しなければ作品を読むことはできません。
そこで、以下ではなるべくわかりやすい形でそのあたりを解説していければと思います。
清少納言は、中宮定子に仕える女房であった
身も蓋もないことを言ってしまいますが、本節のタイトルで「何のことを言っているか全くピンと来ない…」という場合、この作品を味わうことは難しいかもしれません。
…と言い切ってしまうのはあまりに不親切な気がしますので、ここでは本作に関する基本事項を整理していきます。
まず、作中で描かれるのは平安時代で、それも当代で最高の貴族たちが暮らした王朝の世界を舞台に話が進行していきます。
王朝の世界に関しては『源氏物語』と同様に専門用語や現代と大きく異なる価値観が非常に多いため、わからなくなってしまった場合は適宜調べながら読み進めていくとよいでしょう。
そして、清少納言の個人的な境遇にスポットライトを当ててみると、彼女は天皇の妃である「中宮」と呼ばれた女性・定子に、彼女の世話係である「女房」として仕えていました。
藤原定子(出典:Wikipedia)
定子は当時宮中を実質的に支配していた有力者・藤原道隆の娘で、彼女の使命は天皇の後継ぎとなる男子を生むことで藤原氏と天皇家の結びつきを強めることでした。
以上のように、清少納言が仕えた女性は日本でも最高クラスの格を有する女性であり、必然的に彼女が生きた世界も華々しいものとなっていったのです。
彼女は、そこで味わった体験を本作に反映させています。
作品執筆時には定子とともに没落していた?
本作を少し読んでみるだけでわかるのですが、基本的には清少納言が生きた豪華絢爛な世界で得た知見が全面に反映されています。
これをわかりやすく表現してしまうと、現代でいうところの「いかにも得意げに投稿しているエリートのインスタグラム」という感じでしょうか。
しかし、一方で日常の美しさだけでなく、下賤なものや不快なものに関するイライラも同時に書き連ねられています。
こちらも例えると「ちょっと愚痴っぽいツイッターの投稿」といった感じですね。
もっとも、どちらの方向にも共通する点として「自分自身のエリート意識」や「毎日に感じる幸福感」のようなものをそこはかとなく感じることができます。
が、我々にとって非常に興味深いのはむしろここから。
清少納言が本作を執筆した時期には、すでに定子が藤原氏内の政争に敗れ、没落してしまっていたと考えられています。
主が没落したということは、清少納言自身も当然ながら安定した身分を得ているはずがありません。
彼女も、政争に巻き込まれる形で追われるように華々しい世界を去らなければなりませんでした。
そして、すっかり自身も没落してしまったタイミングで本作の執筆を進めていったのです。
彼女が何を考えながら執筆にふけっていたのか。
恐らく、かつて自分自身が過ごした最高の境遇を懐かしみながら、過去の思い出を書にしていったのでしょう。
この事実を踏まえると、本作の見方が大きく変わってきます。
『源氏物語』に比べると、本作が評価されるには時間を要した
冒頭でも触れましたが、同じ王朝文学であり、かつ境遇が非常に似ていた女流作家・紫式部が描いた『源氏物語』と本作は非常によく比較されます。
ただし、個人的には「随筆と物語を一緒くたに比較するの、あんまり意味なくない?」と思わないでもありません。
意外かもしれませんが、紫式部が本格的に活動を開始した時期に清少納言はすでに没落していたため、「清少納言と紫式部はライバルだった」という図式も成り立たないのです。
しかし、やはり世間一般では両者を比較する風潮はかなり一般的。
そこで、ここでは両者が後世でどのように評価されてきたのか。その違いを見ていきましょう。
まず、歴史上早くから文学的価値を高く評価されたのは『源氏物語』でした。
この作品をいの一番に評価したのは、平安末期から鎌倉初期を生きた『新古今和歌集』『小倉百人一首』の撰者・藤原定家。
藤原定家(出典:Wikipedia)
彼は『源氏物語』の注釈書や写本を刊行し、偉大な作品として後世に語り継ごうとしました。
そして、「歌聖」とも称された彼に評価されたことが決定打となり、時代を下ってもその評価は引き継がれます。
武士の時代が到来しても同作は愛されており、これは伊達政宗は妻との手紙に作中の一節を拝借していることなどからも容易に証明可能です。
しかしながら、上記のように早い時期から評価されていた『源氏物語』に対して、『枕草子』はいったん歴史上から忘れ去られたといいます。
『源氏物語』だけでなく様々な古典を評価した定家も本作には興味を示しておらず、これは作中に描かれている世界観が日記調であったため、彼に「文学的な美しさに欠ける」と判断されたためではないか、と推測されます。
定家に取り上げられなかった本作が日の目を見るのは、執筆から600年余りが経過した江戸時代のこと。
江戸時代前期に入ると、北村季吟ら歌人に高く評価されたことで、本作はしだいに世間一般でも読まれていくようになりました。
そして、現代では「古典文学の最高峰」として、遅れながらも『源氏物語』と同等の評価を獲得するに至ったのです。
先んじて執筆されたはずの『枕草子』が、『源氏物語』よりも後世になってようやく評価されたというところに、文学評価の面白みを感じますね。
※続きは次ページへ
コメント