『吾輩は猫である』のあらすじや感想、内容の解説!「幸運を呼ぶ猫」をモデルに描いた漱石の出世作

吾輩は猫である アイキャッチ 日本文学
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「吾輩は猫である。名前はまだない。」

このあまりに有名な書き出しから始まる作品が、今回ご紹介する夏目漱石の小説『吾輩は猫である』です。

現代でも様々な作品のパロディになっているので、ほとんどの日本人がこのフレーズを知っていることでしょう。

ですがこの先の文章はどう続くのか、この猫は何者なのか、答えられる人は中々いないのではないでしょうか? 口に出した際の語感の良さ、猫が「自らの名前はない」と大げさに語るギャップの面白さからなんとなく頭に残っているだけ、という人も多いと思います。

おおまかな内容は、当時(1905年)の世相を野良猫の目から描写するという皮肉たっぷりの物となっています。読み物としても非常に面白く、是非一読してみて欲しいのですが、いかんせん、言葉使いが古めかしく一見とっつき辛いように見えるかもしれません。

そこで今回は『吾輩は猫である』がより読みやすくなるように、簡単なあらすじと解説、そして私の感想などを書かせて頂きたいと思います。

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吾輩は猫であるの作品情報

作者 夏目漱石
執筆年 1905年
執筆国 日本
言語 日本語
ジャンル 長編小説
読解難度 読みやすい
電子書籍化
青空文庫
Kindle Unlimited読み放題

吾輩は猫であるのあらすじ

自分のことを「吾輩」と呼び、教師をしている苦沙弥(クシャミ)先生に拾われた猫が主人公の物語。

先生の家には当時の知識人が多く訪れ、それそれの考えや取り止めのない会話をします。が、「吾輩」からすれば何処か他人事です。どこか天の声のような、俯瞰したような目線でそれぞれの会話に感想を述べていきます。

そんな風にして日常を過ごしていると、ある時資産家の妻である金田鼻子が先生の家を訪ねてきます。鼻子は自分の娘と寒山(先生の家に出入りしている理学者)を結婚させようと考えていたのですが、彼女の傲慢な態度に嫌気が差してしまいます。

先生たちの運命はどうなってしまうのか。また、猫はどのような視点で人間の暮らしを眺めるのでしょうか…。

こんな人に読んでほしい

・とりあえず夏目漱石の本を読んでみたい人

・軽妙な会話の掛け合いが好きな人

・猫が好きな人

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吾輩は猫であるの作者や猫、作品のモデルについて解説!

意外とユーモラスな男だった夏目漱石

『吾輩は猫である』は夏目漱石が初めて書いた小説です。

夏目漱石 写真夏目漱石(出典:Wikipedia)

意外かもしれませんが、漱石は大学教授という職業のストレスを発散させるために創作活動を始めました。

(彼の教師生活については、『坊っちゃん』の記事で詳しく解説しています。)

漱石がストレスを感じていたのは、授業が非常に固く生徒から人気がなかったという点以外に、本人の性格も原因のようです。ちょうど漱石が『吾輩は猫である』を創作していた時期の特徴的なエピソードがあったので、ここで紹介したいと思います。

東京帝国大学大学(今の東京大学)にて、いつものように授業をしていた漱石先生。突然授業を止め、教室の中央に向かいました。そして一人の学生に何かボソボソと呟いているようです。周りの学生が耳を澄ませて聞いてみると、こんなことを言っているようです。

「君は授業中にいつも手をふところにしまっている。授業中にそんな態度では先生に対して失礼ではないのか?」

と説教をしています。それでもその生徒黙ったまま、手を出そうとしませんでした。そんな態度を見ていた漱石は次第にヒートアップ。どんどん声が大きくなっていきます。

見かねた隣の学生が漱石に「先生、この人は元来手がないのです」と告げました。漱石はそれを聞くと顔を真っ赤にして、黙って教壇に戻りました。しばらく両手をついたまま黙っていましたが、すっと顔を上げてこう言いました。

「いや、失礼した。でも、私も毎日無い知恵を絞って講義をしているのだから君だってたまには無い腕も出したら良いのでないかな?」

と言うと、また授業を始めたそうです。

この話はたちまち話題となり新聞や雑誌で採り上げられました。見て分かるようにかなり不謹慎な内容なので、今で言うと炎上ですね(笑)。

ここでは漱石の発言の内容自体には触れることはしませんが、私はこの逸話を聞いたとき「非常に夏目漱石っぽい!」と感じました。

皆さん堅物のおっさんみたいな印象を持たれているかと思うのですが、私は過去の逸話や作品を読んでいると非常に喜怒哀楽がはっきりしていて、人間臭い人だと思います。そしてそのことに人並みに苦しんだり悩んだ文豪だと思います。

おそらく何人もいる学生の中で、こいつはずっと手を服の中に入れている…と気になっていたのでしょうね。よく人を見ています。ただでさえ生徒から授業がつまらないと言われていた過去があったので、その当て付けだろうか?いろいろ考えて、行動に出てしまったのでしょう。

なんとか流そうとする点も非常に人間臭いなと思うと同時に、よくそんな屁理屈が出てきたな!と頭の回転の速さに感心してしまいました。

後述するのですが、本作は当時の日本社会に対する不満や批判をただの猫の目線から描くことで、非常に読みやすくユーモラスな読み口となっています。

上記の発言は、本人なりにはその場の空気を溶かすためのユーモアだったのでしょうし(方向はだいぶズレていましたが)作中に通じる部分があるように思われます。

こんな精神状態の不安定さを創作活動としてぶつけ、生み出されたのが『吾輩は猫である』というわけです。

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「吾輩」のモデルになった猫と仲が悪かった漱石の妻

本作の主人公ともいえる名前のない猫「吾輩」ですが、モデルになった猫は実在します。

漱石の教師としての評判は初めこそ非常に悪いものでしたが、授業を進めていくうちに次第に人気が出てきて、授業の時間以外で学生が彼の自宅に集まるようになっていました。

ちょうど同じ頃、どこから来たのか漱石の家に黒い子猫が家を訪れるようになっていました。しかし、漱石の奥さんである鏡子夫人は大の猫嫌い。来るたびに追い払っていたのですが、何度追い払っても戻ってきてしまいます。

ついには漱石が「それなら内においてやれ」と言ったことから漱石の家に住むようになり、ついには小説の語り部として登場するようになったのでした。ここまで聞くと、夏目家での出来事を小説の中でなぞっているのが分かりますね。

猫が住み着いてからも鏡子夫人は相変わらず彼を嫌っていたのですが、両者の関係は意外なキッカケから改善されます。

「吾輩」は夏目家に幸運を呼んだ?

ある日、あんま師(マッサージ師)の女性は家の猫を見て、鏡子夫人に対しこう言いました。

「この猫のように黒い猫がいる家は福が舞い込みますよ」

それを聞いた鏡子夫人は翌日から態度を急変させ、この猫に優しく接するようになったそうです。あんま師の営業トークに聞こえなくもないですが、アッサリ信じてしまう鏡子さんも大概でしょう(笑)。

ただ、実際に猫を主人公にした小説は瞬く間に高評価を得ました。この作品が売れる前の夏目家は生活に苦しんでおり、漱石は帝大の仕事以外にも明治大学予科の講師を兼任しているほど。

それが、この「福を呼ぶ猫」が家に来て物語の主役になった途端、漱石は経済的にも作家としても恵まれた地位を手にすることができたのです。

あんま師の予言は的中したとも考えられますね。

もっとも、漱石自身は幸運を呼ぶ前からこの猫を大切にしていたようで、猫が亡くなった際には「死亡通知」を作り、亡骸を家の庭に埋めたほどの溺愛ぶりでした。

ちなみに、猫以外の登場人物にもモデルがいると言われています。まず、苦沙弥先生は夏目漱石自身がモデルで、寒月は漱石の家に出入りしていた寺田寅彦(物理学者)がモデルとなっていたと言われています。

漱石は自らのよく知った人物をもとに様々なキャラクターを生み出し、創作に活かしていたのです。

※続きは次のページへ!

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