さて、本日は1989年にブッカー賞、2017年にノーベル文学賞を受賞したカズオイシグロの代表作『わたしを離さないで』(never let me go)のあらすじと感想を書いていきます。
発売されるや否や世界中で人気の原作となったため、映画やドラマなどさまざまなメディアミックスが存在します。
また、カズオは日系人でもあるためか、日本でも綾瀬はるか主演の同名ドラマが製作されています。
このように世間で高く評価されているだけでなく、個人的にも21世紀で最高の小説だと思っています。
では、さっそく本題に入りましょう!
ただし、本作は極力ネタバレのない状態で読んでほしいので、初見の方はあらすじだけ読んだら先には進まないことを強くオススメします!
『わたしを離さないで』の作品情報
まず、本作に関する基本的な作品情報を整理しておきます。
作者 | カズオ・イシグロ |
---|---|
執筆年 | 2005年 |
執筆国 | イギリス |
言語 | 英語 |
ジャンル | SF小説 |
読解難度 | 読みやすい |
電子書籍化 | 〇 |
青空文庫 | × |
Kindle Unlimited読み放題 | × |
なお、本作は電子書籍として読むことも可能で、その際はAmazon発売のリーダー「Kindle」の使用をオススメします。
『わたしを離さないで』のあらすじ
優秀な介護人として、「提供」を行なう患者の世話をするキャシー。
キャシーは介護人として各地を回っていくうちに、自身の出身地であるヘールシャムのことを回顧するようになる。
学生時代のキャシーには、癇癪もちで心優しいトミーと見栄っ張りで活動的なルースという二人の友人がいた。
彼らと過ごした不思議な学生生活と、そこに隠された秘密をめぐる物語。
人間とは何か、生命とは何か。
少年と少女たちは、やがて直面する運命に向き合うことになっていく…。
『わたしを離さないで』の感想・考察
出典:BBC
さて、ここからは今作の感想を書いていきます。
今作に関しては、読み始めてすぐに違和感を覚えた方も多いのではないでしょうか。
ここからはそうした違和感の正体ともなる小説的技法などに関しても解説をしていきたいと思います。
「信頼できない語り手」による回顧物語
今作は、主人公キャシーがヘールシャムで過ごした日々を回顧する形をとって物語が明かされていきます。
回顧をするキャシーは作中で既に31歳であり、そんな彼女が学生時代を回顧していくことになります。
そのため、あいまいな彼女の記憶をたどりながら我々も彼女の人生を追体験していくことになります。
このように、一人称の語り手があいまいな記憶をもとに物語っていくことは「信頼できない語り手」という小説的技法のひとつです。
イシグロはこうした手法を得意としており、ブッカー賞受賞作の『日の名残り』などもこの手法を使って記されています。
また、本作はSFの要素も強く「キャシーは知っているが我々は知らないこと・もの」が頻繁に登場するのも特徴の一つです。
この点に関しては次の項で詳しく解説していきます。
淡泊で乾いたカズオイシグロの文体が魅力的
先ほども触れたように、今作は語り手は知っていて我々読者は知らないものが多く登場します。
例えば、「提供」や「ヘールシャム」という専門用語。
これらの用語が唐突に文脈に登場し、戸惑った読者の方も多いかもしれません。
そして、戸惑う読者をよそにキャシーは淡々と語りを進めていきます。
こうした淡々と過去を回顧していくような文章には、イシグロの文体が非常によくマッチしています。
イシグロは良くも悪くも淡泊な文章を書くタイプであり、ハッとさせられるような特徴的比喩や言い回しはしない印象。
今作の場合、そうした文体が物語の暗さも合わさって非常に魅力的に感じました。
決して感情的な文章ではないのですが、涙を流しつくして流れる涙がない状態の乾燥と諦めが混じったような気分が表現されています。
ゆっくりと、しかし確実に埋まっていく悲劇のパズル
キャシーの淡々とした語りで進行していく物語をしばらく追っていると、直接的な説明はありませんがなんとなく用語の意味や世界観がつかめるようになってきます。
「提供」という用語や、「ヘールシャム」という場所についても、種明かしをされる前になんとなく予想はできます。
しかし、それらはどう考えても心が安らかになるような用語ではない…。
そのことに気づかされる我々読者は、読み進めていくにつれ悲劇的な結末が待っていることを悟っていきます。
そして案の定彼らはクローン人間として生を受けていることを知るのですが、我々も「やっぱりそういうことか」と、予想が当たってしまったことを知るのです。
これはある意味我々だけでなく、キャシーをはじめとしたキャラクターたちもなんとなく察していたことなのでしょう。
こういったキャラクターと我々の心情をシンクロさせる描き方は見事の一言です。
「ふつうの、少し意地悪な女の子」ルースという存在
私がこの物語で一番好きなキャラクターは、主人公の友人ルースです。
ルースはキャシーの友人なのですが、見栄っ張りで意地悪なところがあると評されています。
そんなルースは、キャシーとトミーの仲が良好で、お互いが両想いなことを知っていました。
それに気づいたルースは2人に見捨てられることを恐れてトミーにアプローチをかけ、自分のものにしてしまいました。
結局キャシーとトミーはお互いの思いを告げられぬままヘールシャムを旅立つことになるのです。
そして後年。キャシーは提供を重ね衰弱したルースに介護人という立場で再会します。
ルースは介護人泣かせの患者として知られており、介護人として実績を重ねたキャシーに機会が巡ってきたのです。
二人は再会を喜び合うと、後にトミーを含めた3人で出会います。
そこで、ルースはかつて二人の思いを知っていたことを告白し、罪滅ぼしにと「マダム」の居場所を知らせます。
そして二人がマダムのもとへ赴いている最中、病院で息を引き取りました。
このように、作中では悪役寄りのポジションで描かれているルース。
しかし、私は彼女のものすごく人間臭いところが好みです。
キャシーとトミーは、悲劇的な運命を目前にしてもあくまで淡々と運命を受け入れます。
それはルースが彼らの仲を引き裂いた時も、ルースから真実を知らされた時も、自分たちの人生が長くないことを知った時も。
一方のルースは、どんな場面でも自分の感情に対して素直に行動を起こしていきます。
それはキャシーとトミーに嫉妬した時も、先輩たちに自分を大きく見せたかった時も、良心の呵責に耐えられなかった時も。
確かに、ルースの行動は決して褒められたものではなかったかもしれません。
けれど、異常な世界とそれを淡々と受け入れるキャシーやトミーよりも、意地汚くても世間の流れに抗おうとするルースが愛おしく思えたのです。
SF小説としての側面も強い「問題作」
終盤でも明かされるように、彼らはクローンの「人間らしさ」を証明するためにある程度の自由と創作が許されていました。
しかし、それが世間では受け入れられずにヘールシャムは廃校になり、カップルは生命の猶予が許されるという風説もデマだったのです。
さらに、ヘールシャムで彼らを指導していた先生や「マダム」でさえも彼らを異形の存在として観ていたことを知ります。
このように、彼らは真実を知ると共に全ての希望を奪われることになります。
したがって、この小説が悲劇的小説であることは言うまでもないことです。
そして、同時に我々には「人間のクローンは人間なのか」という問いかけがなされています。
この生命倫理への問いかけは、現在では決して架空のものではなくなっています。
最近中国で人間のクローンに関する研究が行なわれているという報道もあったように、技術的には十分可能になっているのです。
加えて、今後先進国の人口は減少傾向になると予想されており、労働力としてクローン人間が実用化されるという可能性も無視できません。
そうした時代の到来に備えて、我々も「クローン技術」を現実の問題として考えなければならない時期なのかもしれません。
まとめ
恋愛小説の側面と、SFミステリー小説の側面をもちあわせている『わたしを離さないで』。
シリアスなテーマを扱っていながら、どこか冷めたようなテンションで進行していく物語にはえも言えぬ感情をかきたてられます。
また、イシグロはこの小説を「日本的な小説」と表現しており、日本人とは相性がいいのかもしれません。
さらに言うと、現代のイギリス文学は日本人受けしそうな要素も多いと感じるので、まずはブッカー賞作家の本をいくつか読んでみることをおすすめします。
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