旅に出たいと思っても、すぐには難しいことってありますよね? まさに今、新型コロナウイルスの流行で歯がゆい思いをしている方も多いのではないでしょうか。
そんなときは「旅気分を味わえる文学作品を手にとる」という方法でストレスの発散をオススメします。
ミステリ作品には、列車や客船を舞台にした「トラベルミステリ」と呼ばれるジャンルがあり、現代まで古今東西の作家たちの手によって、様々なタイプの作品が生み出されてきました。
言わずと知れたミステリの女王アガサ・クリスティーも、クルーズ船で事件に遭遇するものや航空機の中での殺人など、多くのトラベルミステリを書いています。
そんな中でも今回は、クリスティーのトラベルミステリの筆頭『オリエント急行の殺人』を取り上げます。
前半であらすじや作品の背景について紹介し、後半ではネタバレありの感想を述べていきます。
作品を楽しむヒントにしていただければ嬉しいです!
『オリエント急行の殺人』の作品紹介
作者 | アガサ・クリスティー |
---|---|
執筆年 | 1934年 |
執筆国 | イギリス |
言語 | 英語 |
ジャンル | ミステリ |
読解難度 | 読みやすい |
電子書籍化 | 〇 |
青空文庫 | × |
Kindle Unlimited読み放題 | 〇 |
名探偵エルキュール・ポアロシリーズの第8作目にして、クリスティー作品の中でも特に有名な作品の一つです。
登場人物が多いのではじめはやや混乱するかもしれません。が、章立ても工夫されていますし、翻訳も読みやすいものが多く出ているので、海外産の翻訳ミステリが苦手な方でも読みやすいと思います。
『オリエント急行の殺人』の簡単なあらすじ
シリアで重大事件を解決に導いたのち、イスタンブールで短い休暇を取ることにした名探偵エルキュール・ポアロ。
しかし、電報の呼び出しで急遽イギリスへ戻らなくてはいけなくなってしまいます。イスタンブールからカレーに向かう、シンプロン・オリエント急行の一等寝台を予約しようとするポアロでしたが、普段なら閑散期である真冬にも関わらず寝台車は予約でいっぱい。
それでも、偶然再会した鉄道会社の重役であり旧友・ブークの計らいで、なんとか乗車できることになりました。乗り込んだ寝台列車はポアロを含め、国籍も階級も年齢もバラバラの14人の乗客たちでにぎわっています。
その乗客の一人である富豪のラチェットから、突然ボディーガードを依頼されるポアロ。しかし、ラチェットのどことなく不穏な人相に嫌悪感を覚え、きっぱりとその依頼を断るのでした。
翌朝、車掌によって客室でラチェットが死んでいるのが発見されます。遺体には深さも大きさも刺した角度もバラバラの12の刺し傷が残っていました。
雪だまりに突っ込み立ち往生している列車の車内で起こってしまった殺人事件。ポアロはブークからの依頼で捜査の陣頭指揮を執ることになります。助手はブークと偶然乗り合わせたギリシャ人医師のコンスタンティン。3人は現場検証や乗客たちの事情聴取を進め、事件当夜何が起こっていたのかを明らかにしていきます。
オリエントとヨーロッパを結ぶ豪華列車オリエント急行を舞台にした、名作クローズドサークルミステリです。
こんな人に読んでほしい!
・トラベルミステリを読んでみたい
・自分でも推理しながら本格ミステリを楽しみたい
・古き良き列車の旅の気分を味わいたい
『オリエント急行の殺人』の舞台や主人公、構成の解説!
実在した豪華列車「オリエント急行」が舞台
事件の舞台であり、タイトルにもなっている「オリエント急行」は、1883年に誕生した実在の列車です。
創業当時のオリエント急行(出典:Wikipedia)
トルコのコンスタンティノープル(イスタンブール)とフランスを結ぶ長距離直通列車であり、運行開始当初からその豪華絢爛さで注目を集めました。
第一次世界大戦後から第二次世界大戦開戦までの間がオリエント急行の最盛期と言われ、乗客には王侯貴族をはじめとして各界の著名な人物もその名を連ねました。
クリスティーも離婚直後の1928年に初めて乗車。中東への旅を楽しみ、作品のインスピレーションを得たと言われています。ちなみに、ポアロがシリアからイスタンブールに移動する際に乗車したタウルス急行や、イスタンブールのトカトリアン・ホテルも当時実在しており、彼女も中東旅行の際に利用したと自伝に書かれています。
この旅をきっかけに中東に親しむようになったクリスティー。そんな彼女にとって2番目の夫・マックスとの出会いもイスタンブールでした。再婚後にも考古学者の夫の仕事に同行して中東に出かけており、『メソポタミアの殺人』や『春にして君を離れ』など、中東が舞台の名作も数多く生み出しています。
クリスティーとマックス(出典:Wikipedia)
クリスティーにとってオリエント急行は人生が変わるきっかけであり、また作家人生に大きな影響を与えた列車といえるでしょう。
作中にも登場し、実際にオリエント急行を運行していた「国際寝台車会社(ワゴン・リ社)」は、ベルギー人の実業家が興した会社です。
ワゴン・リ社のマーク(出典:Wikipedia、撮影者:Tamorlan)
ベルギー人のポアロの旧友であり、助手役を務めるブークはこのワゴン・リ社の重役という設定になっています。
しかし、華々しく運航していた列車も、第二次大戦後は空の旅が一般的となったことで落ち目に。ワゴン・リ社は1971年に寝台車事業から撤退し、1977年にはオリエント急行の運行も中止されました。
1980年代以降は別会社によってヨーロッパの観光列車として運行され、テレビの企画で日本での運行が実現したこともありましたが、現在は残念ながらすべて廃線となっています。
「リンドバーグ愛児誘拐事件」から着想を得た物語
1927年に大西洋単独無着陸飛行を世界で初めて成功させたのは、チャールズ・リンドバーグという人物でした。
日本ではかつて一世を風靡したバンド「リンドバーグ」の由来となったことでも有名でしょうか。
当時としては非常に過酷だった大西洋単独無着陸飛行を成功させたことで、彼は世界的ヒーローになっていました。
しかしながら、多くの人に注目されたことでリンドバーグは悲劇に見舞われます。1932年、彼の1歳8か月の息子がアメリカ・ニュージャージー州の自宅から誘拐され、殺害されるという事件が発生。後世では「リンドバーグ愛児誘拐事件」と呼ばれる痛ましい事件でした。
世界的な有名人であったリンドバーグの悲劇は、アメリカ国内だけでなく世界中で報道されます。そして悲劇的な事件として多くの人々、特に幼い子供を抱える親たちを震撼させました。
この事件は、リンドバーグ家で使用人をしていた女性が激しい取り調べを苦に自殺するなど、捜査の過程で悲劇の連鎖が起こったことでも知られています。犯人として逮捕された男は死刑になっていますが、いまだに冤罪説が検証されるなど、多くの疑惑をはらんだ事件でした。
さて、ここでなぜリンドバーグの悲劇に触れたかといえば、作中で事件解決の重要なキーになる事件として登場する「アームストロング誘拐事件」が、「リンドバーグ愛児誘拐事件」をモデルにしていると言われているから。
しかし、本作が発表されたのは、事件が解決する前にあたる捜査中の時期でした。未解決の悲劇を題材にするというのは、現代の感覚から言うとかなり大胆な試みに思えます。
今なら、「悲劇でカネ稼ぎをするのか!」と、まずSNSで炎上するかもしれません…。
それでも、クリスティーはあえてそのタイミングで作品を世に送り出したのです。その意味については2ページ目で詳しく解説していますが、本作は彼女が事件について抱いた思いを感じ取ることができる貴重な作品ともいえます。
クリスティーの生んだベルギー人の名探偵「エルキュール・ポアロ」
クリスティーの生み出したキャラクターの中でも、名探偵エルキュール・ポアロは人気も知名度も高いことで知られています。彼を主役にした作品は「ポアロシリーズ」という名で親しまれており、『オリエント急行の殺人』もシリーズ人気作の一つです。
もともとコナン・ドイルが描くホームズシリーズの大ファンだったクリスティーは、自身でもオリジナルの名探偵を生み出すべく知恵を絞ります。
そうして誕生したのが、特徴的な口髭と「灰色の脳細胞」が詰まった卵型の頭を持つ、神経質なベルギー人の紳士探偵でした。
ポアロの初登場は、クリスティーのデビュー長編『スタイルズ荘の怪事件』。ベルギーから亡命してきたポアロは、偶然再会した旧友・ヘイスティングスに頼まれて事件の捜査をします。この事件をきっかけにヘイスティングスとコンビを組むことになるのですが、バディものであるという点もホームズシリーズの影響を受けていそうです。
ただ、ポアロシリーズではホームズとは違い、ポアロ自身が犯人を組み伏せて捕まえるといったアクションシーンはあまり見られません。その分、事件関係者を集めて推理を披露し、論理的に犯人を追い詰めるというシーンが象徴的に描かれており、本作でも、謎解き編でその本領を発揮しています。
また、クリスティー作品の特徴と言えるかもしれませんが、ポアロシリーズを読んでいると、感覚を基準にした判断がたびたび登場します。
「なんとなく感じ取った」という女性の第六感的な感覚が推理に盛り込まれることがあるのです。ポアロは男性ですが、細やかな神経を持った人物として描かれているためか、こうした女性的な感覚を持っているという設定にもあまり違和感がありません。
ポアロが第六感を発揮するシーンは物語のカギとなっている場合も多いので、作品を読む際にはぜひ注目してみてください。
車内見取り図やわかりやすい章立て!読者も推理を楽しめる工夫された構成
『オリエント急行の殺人』は、読者が得られる情報の量が極めて多い作品です。
名探偵が登場する本格ミステリの特徴の一つとして、事件の舞台となる建物の見取り図などが掲載されていることがあります。本作でも、事件の起こった寝台列車の見取り図が掲載されており、乗客や車掌の事件当夜の位置関係や車内の間取りなどが、読者にもわかるようになっています。
作中電車の車内図(出典:Wikipedia)
また、全体が大きく3つの章に分けられ、その章立ては非常にわかりやすく整然としています。時系列が前後することもなく、視点の変化もほぼありません。第2部「証言」編は、証言者ごとに章が切り替わる構成になっていて、登場人物が多い物語の中で、個々のキャラクターが印象に残りやすくなっています。
さらに、オリエント急行に乗車する前から物語の最後まで、読者がポアロと同じものを見聞きできる構成をとっているのが特徴。つまり、読者もポアロと同じ段階を踏み、同じ目線で推理を楽しめるようになっています。
読者に対して、これだけ何もかも情報を提供していることは、ある意味クリスティーからの挑戦とも思えます。初読の際にはどこまで真相に迫れるか、ぜひ挑戦してみてください。
映像化や舞台化でも語り継がれる不朽の名作
列車という限られた空間を舞台にした「クローズドサークルミステリ」の代表作として名高い本作。その魅力的な舞台装置のせいもあってか、これまで数多くの作り手によって映像化や舞台化が行われてきました。
映像作品として特に有名なのは、名優アルバート・フィニーがポアロ役を務めた1974年の映画でしょう。
当時のスターを集めたキャスティングの華やかさも注目されましたが、作品の世界観を見事に再現した完成度の高さも評価され、のちの数々の映像作品にも影響を与えました。
デヴィッド・スーシェがポアロを演じたドラマシリーズでの映像化の際には、ポアロの複雑な心情にスポットを当てており、原作とは一味違う作品として高く評価されています。
作品の世界観をどのように表現できるのか、作り手の挑戦はいまもなお続いており、2017年にはケネス・ブラナーさんの監督・主演で再び映画化。2015年には日本でも野村萬斎さん主演で映像化しているので、歴代の作品を比較してみてもおもしろいのではないでしょうか。
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