『論語』の読み方や内容の解説!孔子の教えを弟子が記し、渋沢栄一にも影響を与えた「子曰く」でお馴染みの作品

論語 アイキャッチ 中国古代文学
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たとえ読んだことはなくても、この書名を知らない人はいない。そう言いきれてしまうほど有名な古典作品が、今回紹介する『論語』です。

中学や高校の教科書に載っていることも多く、「子曰く…」で始まる数々の教えのうちのいくつかは知っている人も多いかもしれません。

もしかしたら、授業でキライになってしまったという人もいるでしょうか。

一方で、本作に学び、人生のよりどころにした偉人は少なくありません。影響力も大きく、キリスト教の聖書に勝るとも劣らない、まさに古典の王様とも言えるこの作品。読まずにいるのは本当にもったいない!

今回は『論語』について、関係の深い孔子の生涯にも触れつつ解説していきます。

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論語の基本情報

書名は有名ですが、本作の成立など細かい点についてはあやふやな方もいらっしゃるかもしれません。まずここで、基本情報について整理しておきます。

作者 孔子の弟子たち
執筆年 孔子の死後数十年から数百年(諸説あり)
執筆国 中国
言語 中国語
ジャンル 言行録
読解難度 読みやすい
電子書籍化
青空文庫 ×
Kindle Unlimited読み放題 ×

『論語』の簡単なあらすじ

本作は「孔子の言行録」。つまり、師匠孔子の言葉を弟子たちがまとめたものです。ですので、物語はありません。

順を追って話の展開を楽しむという読み方ではなく、どこからでも、興味のある所から読み始めることもできます。極端な話、後ろから冒頭に遡って読むことも全く問題はありません。私自身は、一度通読した後は、気に入った句をその時の気分で拾い読みすることが多いです。

また、『論語』と言えば孔子がすぐに思い浮かぶという方もいるでしょう。私もそのような一人です。ただ、「孔子が本作を書いた」というわけではありません。ここも誤解している方が多いので注意が必要です。

こんな人に読んでほしい

・日本人の価値観の根本を知りたい

・ビジネスに活きる実践的なものを読みたい

・通読するのではなく、興味や必要に合わせて読んでみたい

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『論語』の時代背景や孔子の人物像、日本とのかかわりを解説!

本作は今から2000年以上も昔、紀元前の古代中国で書かれたもの。

現代日本からは程遠い世界ですので、作品理解のためにも当時の時代背景などについても併せて触れることとします。

孔子が生きた中国の「戦国時代」と諸子百家

本作に教えが描かれている孔子(紀元前551年~479)の生きた時代は、中国の「春秋戦国時代」でした。

孔子 絵画孔子(出典:Wikipedia)

戦国の王たちは、自国を強くするため、あるいは生き残りを賭けて有能な人材を求めます。

こうした時代の要請に応えるように、「諸子百家」と呼ばれる人たち現れるのです。

彼らは諸国を渡り歩き、王に自説を披露しました。現代流に言えば、凄腕のコンサルタントが独自の理論をGAFAのような超大企業に売り込むような感じでしょうか。こうした売り込みが当たれば、場合によっては国の大臣に取り立てられるということもありました。

ある意味、史上最大の能力主義ですね。

諸子百家といえば、兵法家として名高い孫子や法律による厳格な統治を重視した韓非子などが有名です。その中でも、孔子は諸子百家のトップランナー的な存在とされています。

孔子の生涯は不遇なまま終わり、儒教思想も受け入れられなかった

後世では偉大な思想家として語り継がれる孔子ですが、実はかなり不遇な生涯を送っています。

もともとは「魯」という弱小国の下級貴族の生まれですが、父を早くに亡くし、貧しい中で育ちました。

一念発起し学問を志し、「仁(じん)」、つまり人を思いやることこそ政治や人間関係で大事だとする学問・儒教を打ち立てました。政治的にも、祖国である魯の国で今でいうところの司法長官や外交官を任されるように。ここまでは、それなりに順調な人生を送っているといえましょう。

しかし、その後政治に失望。祖国を捨てて旅にでます。そして、自らの思想を手に諸国を渡り歩く「諸子百家」になるのです。

ただ、孔子の思想はなかなか受け入れてもらえません。あまりにもうまくいかないので、弟子のひとりに「いっそ筏(いかだ)に乗って海に出てしまおうか」(公冶長篇第7章)と愚痴をこぼす場面も。こりゃあ、孔子先生かなり投げやりになっていますね…

長い間諸国を渡り歩き、祖国である魯へ帰ってきたときはすでに13年が過ぎていました。このとき孔子は69歳。なんともパワフルなおじいちゃんです。

帰国後は特に政治には関わることなく、弟子の育成や学問の研究に明け暮れます。育った弟子は3000人とも言われ、様々な国で大臣などの要職を務めたものも多くいました。

偉大な教育者。諸国を遊説してまわる行動の人。疲れて愚痴っぽくなるオジサン。様々な顔を持ち、とても一言では表わせない大人物だと言えます。

が、彼の能力からいえば、生前の立場は不遇といえば不遇でしょう。その後、2000年以上も世界中に影響を与えるほどの思想を後世に残したのですから。

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日本社会に深く根付く「論語」の教え

『論語』が日本にもたらされたのは3世紀~4世紀頃とされています。日本最古の書物といわれる『古事記』が編纂されたのが712年なので、それよりもはるかに古いもの。これには歴史のロマンを感じてしまいます。

さらに、聖徳太子が制定したと伝わる十七条憲法の「和をもって貴しとなす」はまさに孔子の教えそのもの。

伝聖徳太子像伝聖徳太子像(出典:Wikipedia)

昨今、十七条憲法の制定は「彼の手によるものではない」とも明らかにされてきましたが、少なくとも憲法自体は作品の影響を強く受けていたことがうかがえます。

その後、儒学は仏教や神道に圧され影をひそめますが、江戸時代には幕府が儒学の一派である朱子学を唯一の学問として重視。『論語』は武士の必読書となりました。本作の理解の深さが能力や教養とみなされ、出世にもつながっていったのです。

しかし明治期に入ると、「西洋重視、東洋軽視」の社会風潮の中、『論語』の教えは軽んじられるようになっていきました。実業家の中には「儒教と資本主義社会は両立しない」と考える人々も現れます。

こうした社会の風潮に対し、「イヤ、論語の教えは資本主義社会でも大切だ!」と説いたのが、日本近代資本主義の父とも呼ばれる渋沢栄一でした。

渋沢栄一 写真渋沢栄一(出典:Wikipedia)

彼の自伝は『論語と算盤』と名付けられ、自身でも儒教解釈を試みています。

彼は「道徳経済合一説(道徳も経済も、本質的には同じものだ)」を唱え、論語軽視の流れを和らげていったのです。

彼のほかにもパナソニックの創業者・松下幸之助などは本作の愛読者として知られ、ビジネスとの親和性も明らかにしました。

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音読の元祖は論語にあり?

少し前になりますが、「音読」という学習法がブームになったことがありました。声を出して読むことが記憶の定着や脳の活性化にも良いとのことで、音読を学習に取り入れた学校もあったようです。

しかし、音読はなにも現代になって発明された学習法ではありません。実は、江戸時代における『論語』の学習法に似ているのです。

江戸時代の庶民は「寺子屋」と呼ばれる私塾で勉強を習いました。ここでは「読み書きソロバン」と言われる基本的な学習に加え、論語の素読も行われていました。

素読とは「意味がわかろうが分かるまいが、ひたすら書かれていることを声に出して読む」という学習法。

本作は割と短いので、全文を覚えている人も多かったとか。子供のころから論語をそらんじるのが教養人のたしなみであったとも言われます。

例えば、先ほども紹介した渋沢栄一は、10才に満たない頃から父親や学問の師・尾高惇忠の教えで素読を教えられていた、と自伝に書き残しています。

200万人いるとされる孔子の子孫には、西川口のラーメン屋さんも!?

皆さんは、大学教授で評論家も務める孔健(こうけん)さんという方をご存じでしょうか? 日本のTV番組にも時々出演されるそうで、お顔をご存じの方もいるかも知れません。実は、この孔健さん、孔子の直系第75代目の子孫なのです。

彼の子孫は、一説には200万人いるとされています。中では西川口でラーメン屋を営む男性が、マツコ・デラックスと関ジャニ∞の村上が司会を務める大人気TV番組「月曜から夜更かし」に出演しており、番組内で「孔子73代目の末裔」と自称していたそう。

彼が本当に孔子の末裔かわかりませんが、世界で最も古いビッグファミリーであることは確か。実際、孔子にまつわる家系図は「世界一長い家系図」としてギネス記録に認定されています。

※続きは次ページへ!

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