現代社会で読むオーウェルの小説『1984年』のあらすじと解説・考察(ネタバレ有)

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現代という時代に『1984年』を読む理由(ネタバレ有)

さて、ここまで今作が「反共のシンボル」としてもてはやされ、西側諸国に思想的勝利を呼び込んだという点については語ってきました。

では、すでに共産勢力が大幅に力を失った現代で今作を読む必要はあるのでしょうか。

確かに「反共小説」という側面にだけ注目すれば、現代での価値は相対的に低迷していると考えることもできます。

しかしながら、今作はなにも「反共小説」というだけでなく、「『人間社会』そのものに警鐘を鳴らす小説」なのです。

そのため、現代においても小説的価値には一分の衰えもないと考えています。

「共産主義の失敗」は人間の本能的部分とリンクしている

さて、まず今作が「『人間社会』そのものに警鐘を鳴らす小説」とはどういうことなのかを説明していきます。

確かに、今作には反共の要素が多分に含まれていると感じます。

ただし、筆者は同時に「共産主義の欠点」という要素そのものが「人間の未熟さ」とリンクしている点ばかりに思えました。

例えば、国家が国民を監視し、国民が国民を監視するという共産主義体制の特徴があります。

これは、根本的な原因を探っていくと「恐怖」の感情にたどり着きます。

そして、この感情は為政者の「支配」を促進させ、それが民衆の「恐怖」を増大させていきます。

このように、共産主義体制の欠点は大抵の場合「恐怖」の感情から出発していると言っても過言ではありません。

つまり、共産主義の失敗はなにも共産主義独特のものではなく、人間の本能から生じたものであるという見方ができます。

ここで一つ皆さんに考えてほしいトピックがあります。

確かに、国家レベルでの共産主義や社会主義は力を失っているかもしれません。

しかしながら、共産主義の欠点で示した「恐怖」という感情で他人を「支配」しているものは、本当にあなたの身近に存在しませんか?

会社・チーム・友達グループ・部活・有志団体・家族・クラス…etc

など、この理論はあなたの身近な組織にも適用出来るということを忘れてはなりません。

したがって、「人と人がふたり存在する場所すべて」に「共産主義の欠点と同様の図式」が潜んでいるといえます。

あなたの手にしている「情報」が真実とは限らない

今作は主人公が歴史の改ざんに従事しているように、「情報」の改ざんというテーマも大きく扱われています。

これに関しても、なにも共産主義国家だけで行なわれていることではありません。

例えば現代の日本もそうです。日本社会で公開されている情報は、そのすべてが真実を言い表していると断言できるでしょうか。

少なくとも筆者にはできません。

実際に、先日政府の発表していた統計情報に意図的な改ざんが確認されていると報じられました。

この問題で重要なのは、なにも統計の対象となった事象に関するデータが誤っていたことではありません。

そもそも国家の統計によって算出された「絶大な信頼性がなければならない」データが「正しくないかもしれない」という可能性を示してしまったことこそが重要なのです。

また、今回は雇用関係の統計に改ざんが存在しましたが、これに関しては今作を教訓にしていれば予想できないことではなかったように思えます。

我々の体感としては景気の上向きを実感していないというのはこれこそ「統計」で示されているわけで、「国に有利なデータ」を疑う材料にはなったはずです。

まあ、流石に国家が出しているデータを疑うというのは容易なことではありませんが…。

ただ、我々が学ぶべきは「日本政府は汚い!」というような個別の中傷ではありません。

我々が手にしている情報は「絶対の真実ではない」ということを、ゆめゆめ忘れてはならないということが大切です。

もちろんデータを全て疑ってかかってはキリがありませんが、「発表者にとって都合のいい情報」や「自分の実感とは異なる情報」が示されたときには、それを疑ってみるのも大切な作業です。

少々極端な事例ではありますが、こうしたことを今作は教えてくれています。

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現代にも「ビッグ・ブラザー」は存在する

1984 イメージ

最後に、今作は「ビッグ・ブラザー」の名のもとに、監視用装置「テレスクリーン」や双方向テレビ、マイクによる監視が行なわれています。

これはもちろん現代では大っぴらに行なわれてはいませんが、その潜在的可能性は常に存在しているという事にお気づきでしょうか。

現代インターネット界の権力者は警戒すべき

現代は高度情報化社会であり、我々の社会とインターネットはもはや不可分の状態にあります。

それにもかかわらず、インターネットの世界を実質的に支配しているのは極めて少数のグループに限定されており、同時に強大な力を保持しています。

ここに関してはあえて企業名には言及しません。皆さんの想像にお任せします。

ともかく、その集団は世界中の人々に関する膨大なデータを所持しており、同時に世界中の人々を監視しています。

もっとも、現状で彼らがそれをオセアニアのように「悪用」しているかはわかりません。

しかしながら、大切なのは彼らが所有している力はオセアニアに比肩するものがあり、その気になれば「悪用」することができるという点です。

かつて世界中に存在した支配者たちも、初めから全員が悪人だったわけではありません。

むしろ、初めのうちは純粋な正義感や野心で権力を獲得していることも少なくないのです。

こう考えていくと、我々が常に彼らの動きに対して油断してはならない理由がわかるのではないでしょうか。

実際、世界中もそれに感づき始めたようで、国際的にもそうした組織への規制が強まっています。

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SNSによる「相互監視時代」の到来

さらに、筆者が現代で「最も恐ろしい」と考えているのは、SNSの存在です。

SNSは自ら情報を発信するものですが、我々は無意識のうちに他人の情報をかなり多く仕入れています。

そして、他者に何かしらの落ち度が見つかればそれをすぐさま指摘し、場合によっては社会的制裁を与えることも難しくありません。

これは、同時に自分自身も同じような立場に置かれていることを意味します。

ここに、無意識ながら「相互監視」の法則が成立していることにお気づきでしょうか。

ネットに接続された人間そのものが「テレスクリーン」となり、双方向テレビとなり、そして町中に埋め込まれたマイクとなっています。

もっとも、現代はSNSが任意のツールになっているため、人によってはこれを完全に絶ってもまだ生きていけるでしょう。

しかしながら、SNSの普及当時と比べてそれをしていることが当たり前になり、SNSをしていない人間が不利益を被る社会が構築されています。

やがて、SNSなしでは生きることが非常に困難になる、つまり「インフラ化」することも、こうした過去から予測可能です。

つまり、我々一人一人が「ビッグ・ブラザー」になる日も、おそらくそう遠くはないでしょう。

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まとめ

ここまで、オーウェルの歴史的小説『1984年』の現代的な価値と読み方について解説してきました。

今作は反共のシンボルとしての政治的小説の側面ばかりが注目されがちですが、現代にも通じる非常に多くの警鐘を含んでいることが伝わっていれば幸いです。

もちろん、単純に娯楽小説として読んでも、古典的ながら物語の基本をしっかりと押さえているのも事実です。

「教養としては知っているけど…」という方も、この機会にぜひ今作を読んでみてください!

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