『アンナ・カレーニナ』のあらすじや感想、解説・考察!アンナとリョーヴィンの愛に注目

アンナカレーニナ アイキャッチ ロシア近現代文学
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アンナ・カレーニナの感想・考察(ネタバレ有)

ここからは、本作に関する解釈や考察を含めた感想を述べていきたいと思います。

なお、記事の構成上多くのネタバレを含みますので、その点はご了承ください。

愛するが愛されず、ラストは身を投げるアンナの悲劇が美しい

アンナ 投身身を投げるアンナ(出典:Wikipedia)

前から読んでいただいている方には分かりやすいかと思いますが、私は「悲劇」というものが非常に好みなのです。

特に、何もかもを手にしているような人物や組織が没落していく様は、もはや性癖といっても過言ではないレベルで心に刺さります。

そんな私がアンナの行動に興味を惹かれないはずはなく、彼女が「ヴロンスキーに愛し愛されること」だけを追い求める姿は実に魅力的だと感じました。

考えてもみてください。確かにカレーニンは理想の夫ではなかったかもしれませんが、地位も名誉も、さらには美貌までもをアンナは手にしているのです。

こうした全てを捨ててでも盲目的にヴロンスキーを求めるアンナの姿は、呆れてしまうと同時に燃えるような情熱がまぶしく映りました。

加えて、これだけ愛しているにもかかわらずヴロンスキーからのリターンは決して満足のいくものではなく、絶望の淵に立たされて投身してしまうというオチも非常に美しいと感じました。

全てを捨ててただ一人の青年に愛を注ぐものの、その見返りが得られることはただの一度もない。

この光景は、道徳的に考えれば穢れて忌まわしいものにしか思えない一方で、魔性の魅力を有している、というのが私的な感想です。

私も身を滅ぼすほどの愛を注がれてみたいものですね。

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ヴロンスキーが決して魅力的に見えないところも良い

さて、アンナがまさしくすべてを捧げて愛しているヴロンスキーという青年将校ですが、私としては彼がそれほど魅力的な人物には感じられませんでした。

これは男の視点でそう思えるだけなのかもしれませんが、いかにもキザったらしいというかなんというか…。

設定上、優秀でハンサムに描かれているというのを理解することは出来るのですが、個人的にはあまり内面を好きになることができませんでした。

しかし、皮肉なことに「ヴロンスキーがそこまで魅力的に見えなかった」ことで、私の中ではアンナの愛がさらに魅力的なものに昇華されたのです。

先に挙げたように、全てを投げうって愛した男からは満足のいく愛を受けられなかったアンナ。

これに加えて、「私からすればそれほど魅力的に感じないような人物を愛していた」という要素が加わると、悲劇性がより際立つのを理解していただけるでしょうか。

仮に「私が降参するほかない最高の人物」を愛していたとすれば、彼女に同情する部分も大きくなってしまうでしょう。

しかし、私からすれば「どうしてこんな男と…」と思うヴロンスキーに傾倒していたと考えれば、よりアンナが滑稽なものに思え、恋愛悲劇としての完成度が高まると感じるからです。

分かりやすく言うと、昨今しばしば名前を聞く「日本の某皇女」「皇女の婚約者になった男K」の関係性がいい例でしょうか。

この場合も、相手のKは決して誰もがうらやむような容姿やステータスを有しているわけではありません。

そのため、我々からすればやはり「どうして…?」と思うわけですが、この「道理では説明できない恋愛の奥深さ」のようなものが本作中に描かれている魅力の正体でしょう。

Kが万人にとって納得のいく人物でない一方で皇女の愛を一身に受けているように、ヴロンスキーもまたこの図式にあてはめることができると、私は考えます。

もっとも、某皇女の容貌はアンナに比べて(ry

トルストイの思想自体はやや説教臭く、教科書的と感じた

ここまで「アンナの愛が見せる悲劇的な美しさ」について語ってきました。

しかし、1ページ目の作品紹介を思い出していただければ分かるように、この読み方はどう考えても不正解です。

あくまで想像にはなってしまいますが、トルストイはアンナのような人物、つまり浮名を流し欺瞞にまみれた都市社交界で生きる女を「愚かしい」と考えていたことでしょう。

こうした「恥ずべき」人物と対称にして描かれた「素晴らしい」人物こそがリョーヴィンであり、自身の人生哲学こそが崇高なものであることを示していたように思えました。

ただし、トルストイが本作で打ち出したであろう上記の「正しい」価値観は、ハッキリ言ってつまらないものだと思いました。

もちろん、彼の言っていること・やっていることは道理に則っていますし、社会の正義と呼ぶにふさわしいものでしょう。

とはいえ、「苦難の道を歩んだ純真な男が報われ、そうでない女性は死を選ばざるを得なかった」という解釈は、いかにも教科書的だと思いませんか?

トルストイの考えは正しくも魅力的に思えなかった理由は、やはりこの「説教臭さ」に他ならないでしょう。

ただし、そもそも私が「アンナ」の視点で物語を読み、それを楽しめたこと自体にトルストイの優れた観察眼や表現力が現れていると思います。

本人が想定したであろう読み方をされても一流の作品を描いてしまうとは、さすがはトルストイ。脱帽です。

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まとめ

ここまで、『アンナ・カレーニナ』という作品の内容について、様々な角度から解説を行ってきました。

私のような読み方は正しくないと思いますので、お気を悪くされたトルストイの愛読者様がいらっしゃいましたら申し訳ございません。

ただ、裏を返せばそれだけ多様な読み方に耐えうる作品ということで、そこを評価しているのは事実です。

少し難しく長い作品ではありますが、皆さんもぜひ読んでみてください。

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