謎、というものに、どうしようもなくひきつけられることはありませんか?
そもそも「生きていること」それ自体が大きな謎です。
だからこそ、謎に引き付けられるのは自然であり、ミステリが時代を問わず支持される理由なのかもしれません。
今回紹介する夢野久作の『ドグラ・マグラ』は、その「謎」というものの本質に迫った作品です。
ゆえに、本そのものが「奇書」「謎の本」とも呼ばれ、読みづらさから敬遠されることも。
しかし、本記事では分かりづらい点を丁寧に解説していくので、内容をしっかりと抑えることができるでしょう。
なお、この記事では1ページ目にあらすじや作品情報・トリビアといった解説文を、2ページ目は書評(ネタバレ多め)を掲載していますので、部分ごとに読んでいただいても大丈夫です。
『ドグラ・マグラ』の基本情報
作者 | 夢野久作 |
---|---|
執筆年 | 1934年 |
執筆国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
ジャンル | 推理小説 |
読解難度 | かなり読みづらい |
電子書籍化 | 〇 |
青空文庫 | 〇 |
Kindle Unlimited読み放題 | 〇 |
『ドグラ・マグラ』は昭和10年(1935年)、松柏館書店より刊行された「幻魔怪奇探偵小説」(当時のキャッチコピーより)です。
作者・夢野久作は、この作品について「構想十年、執筆十年」と記しています。
夢野久作(出典:Wikipedia)
実際、原稿用紙にして千枚以上と、当時としては破格のボリュームを有する小説に仕上がっています。
また、本作は電子化が進んでおり、
のすべてで作品を楽しむことができます。
『ドグラ・マグラ』の簡単なあらすじ
・・・・・・・・・・・・ブウウーーーーーーーンンンーーーーーーーンンンン・・・・・・・・・・・・という時計の音で目を覚ました〈私〉。
自分が何者なのか一切の記憶をなくし、コンクリートの部屋に密閉されていることを知る。
隣室から「お兄さまお兄さまお兄さま」と悲痛な少女の声。混乱する〈私〉の前に現れた若林鏡太郎教授から、
・ここが九州大学の精神病棟であること
・隣室の少女は〈私〉の許嫁であること
・正木敬之博士(当時はすでに死亡)の精神医学実験によって引き起こされた凄惨な事件に、少女も〈私〉も関わっていたこと
を知らされる。
〈私〉が自分の名を思い出しさえすれば、すべてが解決すると言う若林。
だが、〈私〉は戸惑うばかりで何一つ思い出すことができない。
精神科の標本室で自分の名も思い出せないままに、正木博士作の文書
「キチガイ地獄外道祭文」「地球表面は狂人の一大解放治療場」「絶対探偵小説 脳髄は物を考える処に非ず」「胎児の夢」「空前絶後の遺言書」「心理遺伝論附録」
を読みつづける。
それによれば「呉一郎」という青年が正木の精神操作により、叔母と、許嫁であった従姉妹の「モヨ子」を亡きものにしてしまったらしい。
ふと気がつくと、〈私〉の目の前に立っていたのは正木敬之博士そのひとだった。
驚く〈私〉は、正木博士の常軌を逸した言動に、いよいよ混乱をきわめてゆく。〈私〉はいったい誰なのか——。
こんな人に読んでほしい
・ミステリに飽きた人
・風変わりな小説を読みたい人
『ドグラ・マグラ』の評価・名前の由来を解説!
本作の構成や内容を読み解いていく前に、まず後世での評価や登場人物たちの名前に与えられた元ネタに触れてみます。
夢野久作の生前よりも、死後に評価が高まった作品
本作の刊行当時は一部の熱狂的な読者を産んだものの、文壇での評価はほぼ皆無に近い状況。
夢野久作は作品を高く評価されることもなく、出版翌年の昭和11年(1936年)に47歳で亡くなりました。
しかし、戦後になると本作は再評価が進み、「狂気」ともいえる内容から熱狂的で広い読者層を得ることになります。
現代では、小栗虫太郎作『黒死館殺人事件』・中井英夫作『虚無への供物』と並んで「日本探偵小説三大奇書」として親しまれ、若者の間でも「ヘンな本」として高い知名度を誇っています。
人物名には多種多様な由来がある
本作に登場する人物たちの名は、さまざまな由来をもっているとされます。
まず、「呉一郎」という名前は、大正期に松沢病院をつくった精神科医「呉秀三」からとったもの。
呉秀三(出典:Wikipedia)
「斎藤寿八」という名前は歌人であり、精神科医でもある「斎藤茂吉」からとっているとされ、両者は精神病に由来するといえます。
斎藤茂吉(出典:Wikipedia)
一方、「正木」は「正気」から、「若林」は「ばかばかしい」から採用されたと思われ、それぞれイニシャルのMとWはあたかも鏡で映したような関係にあるという点も見逃せません。
また、「アンポンタン・ポカン博士」という名は、「ぼーっとして夢みたいなことばかり言っている」という作者自身のペンネームと同じ由来をもっている可能性が指摘できます。
『ドグラ・マグラ』の構成・内容をわかりやすく解説!
『ドグラ・マグラ』といえば、「天下の奇書」、「アンチ・ミステリの極北」、「何が書いてあるのかさっぱりわからない」というような評判をお聞きになった方も多いかと思います。
作中では「阿呆陀羅節、新聞記事、論文、遺言書」の形をとった文章の数々を読む必要があり、ここの難解さが頭を悩ませる最大の要因。
そのため、正木博士の論文である「脳髄は物を考える処に非ず」と「胎児の夢」部分の思想性は高く評価されたものの、近年まで「小説としての面白さ」はあまり評価されませんでした。
が、本作の内容や構成をしっかりと踏まえれば、「物語としてもおもしろい小説」であることがわかってきます。
以下では、作品を部分ごとに解説して「おもしろさ」の神髄に迫っていきましょう。
チャカポコ、の言い回しが有名な「キチガイ地獄外道祭文」
「キチガイ地獄外道祭文」は、正木博士が諸国を放浪していたときに「面黒楼万児」の名で配って歩いたパンフレットです。
内容は「スカラカ。チャカポコ」の節回しとともに、精神病者の悲惨な境遇をうたいあげるもの。
特に、「自分は精神病ではないのに、周囲によって精神病院に放り込まれる」というおそれが、中心のテーマとしてあります。
これは、作者自身が「財産問題を巡って親族から精神病院に入院させられそうになった」という体験の恐怖から来ているのかもしれません。
しかし、一方では精神病というものが「人間に普遍な経験である」という宣言にも読めます。
そしてそれは、個人の「狂気」という問題が、全人類をふくむ壮大な物語につながっていく幕開けの宣言でもあるのです。
人類すべてが精神障害者だと述べる「地球表面は狂人の一大解放治療場」
「地球表面は狂人の一大解放治療場」は、新聞記事というかたちをとった正木博士の談話です。
九州帝国大学につくられた「狂人解放治療場」の説明と銘打つものの、その真意は「人類すべてが何らかの精神障害者であり、地球全体が『治療場』。九大の『解放治療場』はそのミニチュアである」という内容。
この「解放治療場」は後に重要な役割を果たす場所で、この部分は伏線と言っていいでしょう。
同時に、『ドグラ・マグラ』という小説が、先ほども述べたように〈人類〉というものを射程範囲においた小説であることの宣言でもあります。
小説自体の構造を解説した「絶対探偵小説 脳髄は物を考える処に非ず」
「絶対探偵小説 脳髄は物を考える処に非ず」という部分も、正木博士の談話を載せた新聞記事という体裁をとります。
しかし、内容はいわゆる新聞記事の文体ではなく、正木博士の放言。
加えて、正木博士の談話部分で、「アンポンタン・ポカン博士」という、おそらくは呉一郎と思われる「患者の妄想を語る」という型式をとるため、「どこで、だれが喋っているの?」と読者をまどわす仕掛けがなされています。
トリックによって分かりにくくなっている内容を簡単にまとめると、「脳髄は物を考える処ではない」という仮説が提唱されています。
「脳はものを考えるのではなく、体のある部品の反応を別の部位に伝える。いわば電話交換局のようなものにすぎない」というのが、その主張です。
このあたりが、『ドグラ・マグラ』が奇書である、とクローズアップされがちな仮説ではあります。
しかし、小説として重要なのは「脳は物を考えるところではない」ということを、「脳が考えている」というのは無限ループである、と断言しているところにあります。
これを、作中では「探偵が犯人であり、犯人が探偵である」というたとえで説明するため、本作は「絶対探偵小説」と呼ばれるのです。
そして、ここで語られていることは、『ドグラ・マグラ』という小説自体の構造であり「この小説そのものが永遠に無限ループしている」ということのいわば解説になります。
先祖の記憶が遺伝するという独自の論理が展開される「胎児の夢」
「胎児の夢」部分は、これまでと一転して真面目な論文型式で語られます。
ただ、語られているのは、「胎児は母胎のなかで、人間が生物として進化してきた生命史すべてをくり返し夢見ている」という奇説。
そして、胎児の夢の中で、自分の先祖の記憶もすべて再現しているのだとも。
「先祖の記憶が遺伝する」というのは重要で、本作の特筆すべき思想としてよく取り上げられる部分です。
しかし、この説が作者によって「思想」として主張されているかと問われれば、やや怪しい感触を受けます。
むしろ、この後に出てくる小説の筋を成り立たせるために、補助線として引かれているのではないでしょうか。
やはり、『ドグラ・マグラ』という小説の、みずからによる解説として読んだ方がわかりやすいと思われます。
作品の核となる内容が書かれている「空前絶後の遺言書」
「空前絶後の遺言書」部分は、正木博士の手記。
『ドグラ・マグラ』の物語の核と言ってもいい部分です。
語り口も多様で、正木博士の放言が基になっているものの
・臨床報告書
・古文書
と変化していきます。
最終的には正木博士の放言に戻って、「ムニャムニャ…」とひどく酔った様子の文句を発したあと、読んでいる〈私〉は書類から目を離します。
この「空前絶後の遺言書」によって、どんな事件が起きていたのか、なぜ呉一郎はその事件を起こしていたかが語られます。
ただ、先ほども述べたとおり、さまざまな表現形式のモンタージュによって「事件」が浮かび上がってくるので、やや読みづらい部分かもしれません。
そんな時は、前の文章を伏線として思い浮かべつつ
「仮説(脳がものを考えるのではない、記憶が遺伝する、など)に登場人物の行動が表現されている」
ということを意識すると、読み解きやすいかもしれません。
加えて、呉一郎が何をしたのか。あるいは何をさせられたのか。それは何によってなのか…。
のような点に注意を向けると、「何が書いてあるのか」がわかりやすくなると思われます。
また、めまぐるしく変わる文体にしても、決して滅茶苦茶に配置されているわけではありません。
読むにしたがって独自の世界観に引き込まれる書き方がなされているので、「意味を正確に理解しようとする」というよりは、「言葉のリズム感」を楽しむのがいいと思います。
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