三島由紀夫『仮面の告白』のあらすじや感想、読み方の解説!「女を愛せない同性愛者」を描いた問題作

仮面の告白 アイキャッチ 日本文学
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「三島由紀夫」といえば、連想されるのは右翼、筋肉、そして同性愛

大蔵省を23歳で辞職した三島は本作『仮面の告白』で作家としての地位を固めました。

実質的な文壇デビューを果たした作品のテーマが同性愛とは、これだけで十分センセーショナル。

しかし、実はこの作品、同性愛の一言で片付けられない主題を孕んだ問題作だったのです。

この記事では1ページ目にあらすじや作品情報・トリビアといった解説文を、2ページ目は書評(ネタバレ多め)を掲載していますので、部分ごとに読んでいただいても大丈夫。

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『仮面の告白』の基本情報

作者 三島由紀夫
執筆年 1948年
執筆国 日本
言語 日本語
ジャンル 長編小説
読解難度 やや読みにくい
電子書籍化
青空文庫 ×
Kindle Unlimited読み放題 ×

本作は電子書籍として読むことも可能で、その際はAmazon発売のリーダー「Kindle」の使用をオススメします。

『仮面の告白』の簡単なあらすじ

虚弱児で祖母に溺愛されて育った「私」は、幼い頃から汚穢屋(便所の汲み取りをする人)の若者や、怪物と戦う勇敢な王子のイメージを愛好していました。

中学生の時とき、「私」はグイド・レーニの『聖セバスチャンの殉教』の絵に欲情。また同時期には、クラスのボス的存在であり、荒々しい魅力を放つ男の級友・近江に仄かな恋心を抱きます。

彼はそこで、自分の性的嗜好が同性にあることを自覚しました。

若い男の肉体にしか欲情しないことを知りながら、いつか女を愛せるようになるはずだと考える「私」。

そんな折、大学生になった「私」は友人である草野の妹・園子と出会い、本の貸し借りや文通を経て二人の仲は親密になって行きます。そのことに「私」も満更ではありませんでした。

やがて「私」は園子から愛を打ち明けられ、彼女のボーイフレンドとして振舞い続けます。しかし園子と交わした最初の接吻に「私」は何の感動もしませんでした。

園子の家から結婚の打診をされると、「私」はあっさりと拒絶します。

果たして、園子との「歪んだ恋」はどのような結末を迎えるのでしょうか。

こんな人に読んでほしい!

・人間の深い心理に関心がある
・硬派な文体が好み
・とりあえず三島の作風に触れてみたい

『仮面の告白』の作者や元ネタ、執筆背景を解説!

本作は三島自身の私小説的な側面が強く、彼のことを知ると作品をより深く楽しめるように描かれています。

以下では、彼の人生と作品とのかかわりを中心に解説していきます。

頭脳明晰だが、幼少期は病弱だった三島由紀夫

三島由紀夫(本名・平岡公威)は、言わずと知れた日本の文豪。

三島由紀夫 写真三島由紀夫(出典:Wikipedia)

大正14年 (1925年)、父・平岡梓と母・倭文重(しずえ)との間に生まれました。父は農林省官吏で、官僚の家系。

また、彼は昭和の始まった年に生まれたので、年齢が原稿とピッタリ合います。

敗戦の年である昭和20年(1945)にちょうど20歳を迎えた、文字通り「昭和を生きた」作家です。

そんな彼は、幼い頃に祖母からで溺愛されて育ちました。

泉鏡花などを愛読するこの祖母の存在が、三島の文学的素養に影響を与えたとも言われています。

加えて、我々のよく知る「ムキムキマッチョなおじさん」というイメージとは裏腹に、身体が弱く、虚弱でありました。

三島由紀夫 筋トレ筋トレに励む三島(出典:Wikipedia)

そのため、小学校では級友から「アオジロ」(顔色が青白く不気味、の意)とからかわれることもあったとか。

ちなみに、彼が屈強になったのは、30歳から始めたボディビルの鍛錬による影響です。

しかし、学業成績は極めて優秀。

学習院を首席で卒業後、東大法学部に入学しました。法学を専攻したのは三島の意向ではなく、官吏だった父に半ば強制された道でしたが…。

ただ、のちに三島は、法学で鍛えられた論理的思考が、小説の構成を考える際の役に立ったと述懐しています。

大学卒業後は大蔵省に勤務するもわずか9か月で辞職、執筆生活に入ります。

そして昭和24年、つまり三島24歳のときに本作を刊行。評判は上々で、好意的な評価で文壇に迎え入れられました。

その後も精力的に『禁色』『潮騒』『金閣寺』など数多くの名作を世に送り出します。

しかし、43歳の時、民間防衛組織《楯の会》を結成。その2年後、自衛隊市ヶ谷駐屯地で自衛隊に決起を呼びかけ、割腹自殺を遂げました。

そんな彼の作風は豊富な語彙を駆使した華麗な文体と論理的な物語構成で知られています。

とくに論理的だというのは非常に頷ける話で、実際に彼の小説は海外でも非常に評価が高いのです。

感性的なものはその国の土地柄や国民性によって受け取り方が相対的であるのに対し(たとえば日本人とイタリア人では時間の感覚も愛情表現も全く違いますね)、論理とは「どこで誰が見ても違わない、普遍的なもの」

その論理に則った作品だからこそ、三島の小説は世界に通用する文学としての強靭さを獲得したのだといえるでしょう。

本作は三島の自伝的性格が強い

三島が24歳の時に執筆された本作品は、三島の半自叙伝と言われています。

実際、

・主人公が祖母に溺愛され、体が弱いことから女の子しか遊び相手にさせて貰えなかったこと

・兵役検査に第二乙種合格するも入隊間際、気管支炎を肺浸潤と軍医に誤診されて即日帰郷したこと

・大学生の時に妹を亡くしていること

など、有名な三島のエピソードと同じ話が随所に出てきます。

ただし、小説はあくまで小説。

内容のすべてが「リアルな三島由紀夫」について語っているものとして受け取るのは危険です。

実生活では、33歳の時に瑤子夫人と結婚し、子供を二人もうけていますからね。

ですから、小説の内容をそのまま受けて「三島って女は好きじゃないんだ…」と断定するのは早計と言えましょう。

園子のモデル・三谷邦子に向けた淡い初恋

本作は自伝的な要素が強いと指摘した通り、ヒロイン・園子には実在のモデルがいたと考えられています。

その人物は、彼の学習院における親友であった三谷信の妹・邦子

親友の妹であると同時に、彼にとって初恋の人でありました。

しかし、本作の執筆を始める3年前、彼女が銀行員の永井邦夫と婚約したことを知らされます。

さらにその翌年、人妻となった邦子と偶然道で再会してしまった三島。

初恋の相手が人妻になったという衝撃は、相当なものだったでしょう。

実際、そのタイミングで「自伝小説を書こうという決意」を記していたと言われています。

作中での園子は、主人公にとって官能的な魅力の乏しい恋人でした。

しかし、実際の邦子と三島はどのような関係であったのか、いまひとつはっきりした資料を見つけることは出来ませんでした。

本心で彼女のことをどう考えていたのか。我々には想像することしかできません…。

主人公を目覚めさせた「聖セバスチャン」とは?

物語中にも出てくるグイド・レーニの『聖セバスチャンの殉教』

主人公の男への官能を目覚めさせた、決定的な一枚としてあまりにも有名です。

セバスティアンの殉教 グイドレーニ聖セバスチャンの殉教/グイド・レーニ作(出典:Wikipedia)

聖セバスチャンってなんぞ? という方のために彼のことを少し説明します。

彼は、三世紀ごろ、ローマの新衛兵第一隊長の地位にありながらキリスト教の布教活動をして弓で射殺された人物。当時ローマではキリスト教が禁止されていたため、処刑されてしまったのです。

そのドラマティックな物語性からか、この「聖セバスチャンの殉教」は西洋美術史の中で、多くの芸術家たちにモチーフとして取り扱われてきました。

しかし、聖セバスチャンが美青年の姿で描かれ、あまりに官能的な表現をされるようになると、ルネサンス頃には描くことが禁止されるように。

たしかにキリスト教の聖人ですし、あまりエロティックに描かれては困る、という事情は分かります。

再び官能的な表現が復活するのはバロック時代に入ってからで、三島の言及するグイド・レーニもこのバロック時代の画家になります。

まぁ、そんなわけで「殺される美青年の姿にエロスを感じる」のは主人公に限った話ではありませんでした。

※続きは次のページへ

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