高瀬舟の感想・考察(ネタバレ有)
ここからは、本作に関する解釈や考察を含めた感想を述べていきたいと思います。
なお、記事の構成上多くのネタバレを含みますので、その点はご了承ください。
「足るを知る」喜助と、「足ることを知らなかった」庄兵衛
あらすじでも少し触れましたが、この『高瀬舟』は罪人である喜助と、彼を護送する役人庄兵衛のやりとりを中心に展開し、庄兵衛の視点で描かれています。
このやり取りの中で庄兵衛は、喜助が二百文というお金をもらったことに大いに感激し満足していることを知るのです。
二百文は、当時では米三升強が買える金額。
米一升は約4,5kgなので三升強とは約5kg。現在で言えば約二千円といったところでしょう。
罪を犯して島流しにされ、お上から二千円程度の捨て金を受け取り、そのはした金にたいそう喜んでいる。「喜助よ、マジか!?お前は不幸だ。目を覚ませ」と言いたいところです。
しかし、そんな喜助の態度をみて、庄兵衛はついつい我が身と喜助を比べてしまいます。
客観的に見れば不幸のどん底にある喜助。一方の自分は、役人であり、それなりに生活は成り立っている。
とはいえ、裕福でも貯金があるわけでもない。むしろ、もし自分が病気になったり、仕事をクビになったりすれば、たちまち生活に困窮してしまう。
庄兵衛はそんな自分の境遇に対し、不安を感じつつ生きています。
そして、庄兵衛は大事なことに気づくのです。
喜助が「足ることを知っている」ということに。
現代のボクらも、庄兵衛やあるいは喜助と、大なり小なり似たようなものかもしれません。江戸時代に比べれば、社会保障はしっかりしているし、コンビニもスマホもあります。正社員になればそれなりに、生活はできるし、アルバイトやパートでも、飢え死にする危険はそれほど感じないでしょう。
しかし、欲しいモノが手に入らなかったり、体のどこかが痛かったり、なんとなく将来が不安だったり。
お金が手に入れば、それなりに満足するでしょう。でも、それ以上のお金が欲しくなったり、失うことに不安になったりするかもしれません。
逆に、裕福でなくても、今の自分の置かれている環境を受け入れてそれに満足することはできるはずです。
喜助はわずか二千円のお金に喜んでいましたが、老子に言わせれば、そのわずかな財産に満足できる喜助こそ本当に豊かな者だ、ということになりそうです。
欲しいモノが手に入らずモンモンとするときなんかに、思い出したい教えですね。
森鴎外の描く「安楽死」は是か非か
ここまでの解説のなかで何度か、「罪人である喜助は・・・」という表現をしてきましたが、喜助はなんの罪を犯したのでしょうか。
実は喜助は弟殺しの罪で島流しになったのでした。このあたりの詳細は庄兵衛とのやり取りで明らかになりますので、ぜひそちらを見て欲しいと思います。
そして、ここは『高瀬舟』1番のヤマ場でもあります。グイグイと引き込まれ、きっとページをめくる手がとまらないことでしょう!
そもそも、作者・森鴎外は安楽死についてどう考えていたのでしょうか。森鴎外自身の作品に対する解説書『高瀬舟縁起』の中で、安楽死について
「楽に死なせると云う意味である」と述べます。
そして続けて、「高瀬舟の罪人はちょうどそれと同じ場合にいたように思われる。私にはそれがひどく面白い」と結んでいるのです。
森鴎外は、幼い我が子・不律を百日咳という病で亡くしたという経験があります。
このとき鴎外は、苦しむ我が子を楽にしてやりたい、と医師と話していると、妻に大声で止められた、というエピソードがあります。
また、別の話として長女・茉莉(まり)が同じく百日咳でもう一日ももたないだろうということもありました。
森茉莉(出典:Wikipedia)
この時、鴎外と妻は、これ以上苦しませるのはかわいそうだと話し合い、まさに安楽死のための注射を準備しようとしていました。
すると、裁判官をしている妻の父がぬっと現れ、「天から授かった命はどんなことがあっても生かさなくてはならん!」と大変な剣幕で叱られ中止になったということもあります。
不律は亡くなりましたが、茉莉は持ち直し、鴎外に溺愛されながら小説家として84年の人生を全うしました。
もし、茉莉が安楽死の注射をされていたら、彼女の84年の人生は存在しませんでした。
また、彼女の作品も存在せず、彼女と関わりから生まれた笑ったり泣いたりといった経験も失われたことでしょう。
『高瀬舟』の話からは、森鴎外が安楽死を肯定(あるいは渇望?)していたことが伺われます。一方で、現在も安楽死に反対する人たちもたくさんいます。
ボク自身は『高瀬舟』を読むことが、安楽死問題に興味を持つきっかけになりました。
そして、自分なりにいろいろ調べてみましたが、正直どちらが正しいのか、いまだにわかりません。
日本では安楽死は認められませんが、オランダやスイス、アメリカの一部の州では認められます。世界でも様々な意見があるようです。みなさんはどう思われるでしょうか?
まとめ
ここまで、『高瀬舟』という作品について解説してきました。
まず、この作品は何より読みやすく、古典や文学というもののハードルを一気に低くしてくれると言えます。
それでいて内容も深く、古代中国の人生訓に触れることもできます。
話のテンポもよく、読み進めていくうちにドンドン引き込まれること請け合いです。対照的な2人の人物「喜助」と「庄兵衛」。あなたはどちらに共感するでしょうか。
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