皆さんは、「姉妹の人生が題材になっている小説」といえば、どんな作品を思い浮かべるでしょうか?
海外文学ですと、チェーホフの『三人姉妹』や、オルコットの『若草物語』。日本なら谷崎潤一郎の『細雪』などを思いつく方が多いかと思います。
このように姉妹が登場する小説は国内外に多く存在するのですが、今回ご紹介するジェーン・オースティンの『分別と多感』は、姉妹ものといえど両極端な性質をもつ姉妹が主役の作品。
代表作『高慢と偏見』などで姉妹愛を描くことを得意としていたオースティン初期の良作を、分かりやすく紹介していきます。
なお、この記事では1ページ目にあらすじや作品情報・トリビアといった解説文を、2ページ目は書評(ネタバレあり)を掲載しています。
分別と多感の作品情報
まず、本作に関する基本的な作品情報を整理しておきます。
作者 | ジェーン・オースティン |
---|---|
執筆年 | 1811年 |
執筆国 | イギリス |
言語 | 英語 |
ジャンル | 恋愛小説 |
読解難度 | 読みやすい |
電子書籍化 | × |
青空文庫 | × |
Kindle Unlimited読み放題 | × |
本作はオースティンの代表作『高慢と偏見』と比較して語られることが多い作品です。
姉妹愛というのはいつの時代も美徳と捉えられてきました。その中でも姉妹が両極端な性格で描かれていて、それぞれが三角関係の恋愛をしているという人間ドラマに溢れた本作はかなり読み応えのある小説です。
が、オースティンらしく皮肉たっぷりのユーモアを交えているので小気味よく、かつ容易に読み進めることが出来るでしょう。
分別と多感の簡単なあらすじ
ダッシュウッド屋敷の主人は、相続人である前妻の息子ジョンに、残される妻と3人の娘の後援を頼み込んで亡くなった。
しかし、ジョンは妻のファニーに言いくるめられ、後援どころかびた一文と金を渡すことはなかった。長女エリナーはファニーの弟であるエドワードと恋仲のような関係になるが、それが気に入らないファニーは親娘を屋敷から追い出してしまう。
従兄妹のサー・ミドルトンの援助でバートン・コテージに引越しした親娘は慎ましく暮らすことになった。そんなある日、次女マリアンは足を怪我したところを、裕福ではないが叔母の財産を相続予定という紳士ウィロビーに助けられる。
情熱的なマリアンとウィロビーは馬が合いすぐに親しくなるが、隣人のブランドンも密かにマリアンに恋をしていたのだった。
マリアンはウィロビーと婚約しているかのように振る舞い、エリナーを心配させている。一方のエリナーはエドワードとの恋の行方に不安を感じていたが家族には秘密にしていた。
そんなある日、ブランドン大佐の招待で姉妹らがピクニックに行こうとしていると、急な知らせが来てブランドン大佐は性急にロンドンへ発ってしまった。さらにウィロビー、エドワードも姉妹の元から去って行ったのだった——。
こんな人に読んでほしい
・人間ドラマが好き
・19世紀当時の法律や相続制度を知りたい
・当時の社交のあり方に興味がある
分別と多感に反映された作者の姉や作家デビュー、当時の相続制度について解説!
本作を読むにあたっては、知っておくとより楽しめる知識がいくつかあります。そのあたり、順を追って解説していきましょう。
作者の姉・カサンドラとの関係が作品に生かされている
オースティンは、8人兄弟の7番目の子として牧師の家庭で育ちます。
兄弟が多い中、姉妹は2歳年上の姉・カサンドラとオースティンだけでした。
カサンドラ・オースティン(出典:Wikipedia)
そのためか二人は非常に仲が良く、ピアノの演奏や刺繍などで毎日ほとんどの時間を一緒に過ごしました。
カサンドラが旅行でオースティンと離れた時ですら、彼女たちは手紙でやり取りをしていたほどです。
当時、手紙は周りに聞かせて読む習慣があったため、もっぱら親類や友人の近状報告やお互いの体調を気遣う内容といったものでした。が、中には流行りのファッションについてや、こんな買い物をしたなどと微笑ましい手紙もあったといいます。
また、数少ないですが恋愛相談のようなものありました。
実際、オースティンは初めての恋人トム・ルフロイについて、情熱的な手紙をカサンドラに出しています。
ですが、トムとの別れが近づいた時期の手紙には「あなたがこの手紙を読む頃にはもう終わっているでしょう。悲しい知らせを書いていると涙が流れる」というように、普段から快活な女性であったオースティンも、カサンドラにだけは心の内を曝け出しています。
姉妹が20代半ばの頃、カサンドラには軍艦専属の牧師を務めている婚約者がいました。が、彼は黄熱病で命を落とします。そしてその2、3年後にオースティンも同じく牧師であったと伝わっている恋人と死別しています。
この悲しい出来事は2人の絆をさらに深めたことでしょう。カサンドラとオースティンは互いを頼りにし、共に生涯独身を貫き通しました。
こうした経験から、オースティンの作品には共通して姉妹間の信頼関係と固い結びつきが描かれています。よって、本作の中でも物語の主軸となるエリナーとマリアンの姉妹愛は、オースティンとカサンドラを元に執筆されたことが考えられます。
執筆当時の相続制度を知ると、作品が理解しやすい
本作を紹介するにあたり、執筆された当時(19世紀初頭)の相続法の説明は外せません。とはいえ、皆さんの中で19世紀イギリスの相続制度に詳しい方はそう多くないでしょう。なので、この部分は詳しく解説していきます。
イギリスだけに限った話ではありませんが、女性に権利が認められていなかったこの時代、財産は男性しか相続ができない決まりになっていました。
また、長男だけに全ての財産が譲渡されることが一般的でした。加えて受け継ぐ財産も限定相続の制度で縛られており、土地や住宅を貸し出すなどして収入を得ることは出来ても、切り売ることは許可されていません。
上記のことから、娘しかいない家庭で家長が亡くなると大問題なわけです。たとえ娘しか遺されていなくても問答無用で相続ができないので、近しい親類の男性が後継となり、家や銀行口座を含む全ての財産を管理して貰うことになります。
本作の始まりがまさにそうで、父・ダッシュウッドが亡くなると、姉妹の腹違いの兄が全ての財産を相続しました。
しかし、当然ながらこの制度には致命的な落とし穴がありました。良心のある男性ならば、残された妻子の後見人として援助をし、生活の面倒を見るでしょう。が、そうでない場合は彼女たちが路頭に迷うということもあり得るのです。
つまり、父ダッシュウッドの願い虚しく、ダッシュウッド夫人と姉妹が家を追い出され大切にしていた銀食器すらも奪われてしまったのは当時の法律のせいと言えます。現代なら起こりようもない問題ではありますが、一方で当時このような立場に追いやられた女性がどれほど居たのか、正確には分かっていません。
オースティンの作品では、人々が他人の年収や資産、どれほどの領地を持っているかについて興味深々である様子が描かれます。これは、今よりもお金が当時の人々の生活に与えた影響は甚大だからなのです。
なお、長子相続権が廃止され、さらに女性が正式に相続権を得たのは、第一次世界大戦が終わってからのこと。オースティンの死後から、実に100年ほどが経っていました。
デビュー作にして流行小説に勝負を挑んだオースティン
生まれつき小説好きで、かつ読書家だったオースティン。彼女は、すでに10代半ばの頃にはノートに短編小説のようなものを書き連ねるようになりました。
主に家族や親しい友人に読み聞かせて楽しむためのものだったようですが、その中にはすでにオースティン作品の特色が確かに存在していました。19歳の時には、本作の元となる『エリナとメアリアン』を手紙でやりとりする形の書簡体形式で執筆しています。
ただ、先に完成したのは後に出版される『ノーサンガー・アビー』という作品で、『スーザン』のタイトルでロンドンにある出版社のクロスビー社と契約し、オースティンは初めての原稿料を手にしました。
が、本作はオースティンの生存中に出版されることはありませんでした(『ノーサンガー・アビー』は彼女の死後に出版された)。
そのため、彼女は『エリナとメアリアン』を大幅に書き換えたうえ、本作で正式なデビューを果たすことになります。
オースティンの生きた18世紀末から19世紀の初頭、文学界ではゴシック小説の大流行が起きていました。一言でゴシックと言ってもゴシックロマンス、ゴシックミステリやホラーなどとジャンルは多岐にわたるのですが、日常とかけ離れた物語は当時の人々を魅了していました。
(私たちが良く知るゴシック小説ですと、ブロンテ三姉妹の描いた『嵐が丘』や『ジェーン・エア』などの作品がそれにあたります)
オースティンも、事実上の初稿である『ノーサンガー・アビー』は、ゴシック小説の影響を強く受けてゴシックパロディともいえる作品に仕上げました。しかしながら、その一方で本作にはゴシックの影響が全く見受けられません。
つまり、彼女はあえて流行りのジャンルに乗っかるのではなく、我が道をゆく独自路線の作品でメジャーデビューしたことになります。
実際、オースティンの作品にはいわゆる「売れ線小説」のような劇的な展開や、変化に富んだストーリーはありません。そのため、もしかすると、あらすじだけを聞いてつまらないと感じる方もいるかもしれません。
ですが、派手さはないのにドラマチックなところがオースティンの作品の魅力ともいえるでしょう。全く見どころの無い小説が、現代で読み継がれるワケはありませんからね。
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