『グレート・ギャツビー』のあらすじや時代背景の解説・考察!村上春樹も愛した小説

グレートギャツビー アイキャッチ アメリカ近現代文学
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グレート・ギャツビーの感想、考察(ネタバレ有)

マンハッタン
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ここからは、本作を読んだうえでの私的な感想を書いていきます。

なお、記事の仕様上ネタバレにはご注意ください。

全てをもつギャツビーの満たされぬ、純粋すぎる想い

作中では、ギャツビーという人物についてさまざまな噂が囁かれています。

それは主に「悪い噂」で、この事実は対外的な彼の印象を示しているのです。

しかし、富も名声も全てを有するギャツビー最大の願いは、かつて別れてしまったデイジーという女性を手にしたい、たったこれだけであると明かされます。

彼女に向けられるギャツビーの想いはあまりにもストレートで、そのギャップには実に人間臭さを感じさせられます。

ただし、恋愛を阻む最大の障壁は、彼女がすでに「人妻」という身分にあることでした。

それでもギャツビーは欲望を表現し続けますが、一方のデイジーは強く断りも受け入れもしない「あいまいな態度」を取り続けます。

ここからも分かるように、客観的に見たデイジーという女性は典型的な「性悪女」ですし、ギャツビーが惚れこむにふさわしい女性だとは思えません。

しかし、本作の良さはむしろそこなのではないでしょうか。

全てをもつギャツビーが、たった一人の女性だけを追い求め、そして破滅していく。

このストーリーには、これ以上ないほどの「人間臭さ」が描き出されているように感じます。

まるで少年のようなギャツビーの姿は、実に愛おしくも切ないものですね。

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ギャツビーの死を悼むのがニックだけというのが切なくも素晴らしい

デイジーを追い求めたギャツビーは、最終的に彼女が引き起こした自動車事故によって妻マートルを殺された夫の手で殺害されてしまうのでした。

その後、マートルの不倫相手および殺害の犯人はギャツビーと断定され、彼はいわれのない罪を着せられることになります。

すると、デイジーを含めあれほどパーティーに参加していた大衆は波が引くように消え去り、最後まで彼に寄り添って葬儀に参加したのはニックだけでした。

この光景を見たニックは深く絶望し、ただ一人純粋な想いを抱いていたギャツビーのことを回顧するのです。

オチはあまりにも救いのない展開になっていますが、私としては「ニックがいて本当によかった」と感じています。

実際、ギャツビーの「親友(old sport)」はニックただ一人であり、たとえ彼だけでも自身の理解者を手にできたのはむしろ幸運であったというべきでしょう。

そういう意味で言えば、彼の恋路は「全てを失った代わりに、ニックという親友を手に入れた」とも表現できるのではないでしょうか。

こう考えると、本作が決してただのバッドエンドではないということにもなりそうですね。

ニックの末路が作者本人の「未来」とダブるように感じる

主人公のニックは、冒頭でアルコール依存や精神病を抱えていることが明かされています。

さらに、彼は小説家になろうとしていた時期があることにも言及されており、ラストでは完成したギャツビーの小説に「The “Great” Gatsby」という文字を記していました。

ここまでこの記事を読んでいただいた方には、このニックという人物の設定がある作家に似ていると感じていただけるのではないでしょうか。

その人物とは、言うまでもなく当の作者「スコット・フィッツジェラルド」本人です。

彼の後半生が実に悲惨なものになっていったのはすでに記してきた通りで、ここで描かれているニックと同じような末路を辿っているといえるでしょう。

しかし、我々が注目すべきは単に「自伝的な性格をもっている」ということではありません。

そもそも、この小説が執筆されたのは1925年のことであり、その時分は彼にとって「この世の春」であったからです。

つまり、彼が当時の自分をありのままに描き出していたら、それはまさしく「ギャツビー」のような人物として登場していることでしょう。

それでも結果としてそうならなかった原因として考えられるのは、フィッツジェラルドが

「目下進行中の狂乱生活はいつか終わり、自分を待ち受けているのはニックのような未来である」

ということを悟っていたのではないかと思います。

客観的に考えても金と寿命を浪費するような生活を送っていたわけですし、彼自身もその行く末を十分に理解していた。

しかし、それを感じてなお退廃的な生活を過ごしてしまったのでしょう。

そこにはゼルダの存在や時代の流れが影響をおよぼしているのは確かで、流されるままになってしまったのかもしれませんね。

ちなみに、小ネタですがフィッツジェラルドもギャツビー同様に兵役の経験があり、彼の設定にも自身の経歴が一部流用されています。

彼は小説に必ずと言ってもいいほど実在の人物を取り入れることで知られており、特に妻ゼルダがモデルになった人物はたびたび姿を現しています。

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まとめ

ここまで、アメリカでも最高の文学と称される『グレート・ギャツビー』についての記事を作成してきました。

この作品は古典文学という定義にこそ該当するものの、作風といい価値基準といい、現代のそれとほとんど変わるところがありません。

そのため、普段一切古典文学を手に取らないという方でも、現代小説と遜色ない形で読み進めることができます。

また、本作は何度か映画化もされており、有名なのは1974年の作品と2013年の作品です。

映画については私が運営している雑記ブログでレビューのほうを行なっておりますので、ご興味がある方はこちらも合わせてご覧ください。

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