『モルグ街の殺人』のあらすじや感想、内容の解説!森鴎外も訳した世界初の推理小説!

モルグ街の殺人 アイキャッチ アメリカ近現代文学
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コナン・ドイルの「シャーロック・ホームズ」シリーズや、横溝正史の「金田一耕助」シリーズなど、名探偵が活躍するミステリ小説は世界中で生み出されてきました。

そして、現代も多くの作家の手によって、新たなミステリ小説が発表され続けています。

しかし、皆さんはこうした作品につながる「世界で初めての推理小説」が何かを知っていますか? 見解は諸説ありますが、一般的にはエドガー・アラン・ポーの推理小説『モルグ街の殺人』がそれにあたるのではないかと言われています。

今回の記事では、前半で本作の作者や作品の背景について、後半でネタバレ有の考察をしていきます。

推理小説の元祖と言われる衝撃作について、少しでも興味を持っていただけたらうれしいです。

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『モルグ街の殺人』の作品情報

作者 エドガー・アラン・ポー
執筆年 1841年
執筆国 アメリカ
言語 英語
ジャンル ミステリ
読解難度 読みにくい
電子書籍化
青空文庫
Kindle Unlimited読み放題

19世紀のパリを舞台にしたこの作品は、実はアメリカで生み出されました。

短編なので分量は多くありませんが、翻訳モノに慣れていてもやや読みにくさを感じる作品だと思います。

とはいえ日本でも様々な翻訳版が発表されていますので、読みやすいものを選んでチャレンジしてみてください。

『モルグ街の殺人』の簡単なあらすじ

舞台は19世紀のパリ。人口とともに犯罪も増加していたこの街で、語り手の「わたし」C・オーギュスト・デュパンという人物に出会います。

デュパンは名家の出でしたが、家の没落によりギリギリの暮らしをしている人物でした。そんな彼にとって、唯一の贅沢は読書です。二人が意気投合したきっかけも、たまたま同じ希少な本を探していたという、読書家ならではの共通点があったためでした。

デュパンの語る家族の歴史や、膨大な読書量に育まれたであろう想像力に触れるうちに、すっかりデュパンに魅了された「わたし」。パリに滞在している間、彼と一緒に暮らすことを決めます。

インテリアの趣味もピッタリな二人は、人里離れたサンジェルマンの一角に建っていた空き家を彼ら好みに改装。世間からは距離を置き、半ば引きこもりの生活を楽しむのでした。

そんなとき、新聞である事件が報じられます。モルグ街のとある屋敷4階に暮らす母と娘が、凄惨な遺体となって発見されたというのです。娘は強い力で首を絞められ、暖炉の煙突にさかさまに押し込められており、母のほうは裏庭で原型をとどめないほど傷だらけの状態で亡くなっていました。

現場に集まった人々の証言によれば、現場に駆け付けるまでに2種類の叫び声を聞いたといいます。しかしその叫び声については、微妙に証言が食い違っていました。また母娘の部屋は密室状態であり、犯人の逃走経路なども謎に包まれたままです。

事件に興味を持ったデュパンは、独自に捜査に乗り出すことに。日ごろから彼の分析力に一目置いていた「わたし」も助手として捜査に同行します。2人はどんな真相にたどり着くのでしょうか。

名探偵オーギュスト・デュパンの初登場作品にして、数多あるミステリ小説の源流となった、世界初の推理小説として名高い短編ミステリです。

こんな人に読んでほしい

・世界初の推理小説を読みたい

・背筋のゾクゾクするミステリ作品を楽しみたい

・古今東西のバディもののミステリ小説が好き

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『モルグ街の殺人』の作者や探偵、後世の評価を解説!

謎の死を遂げた作者の生涯

1809年、エドガー・ポーは旅役者をしていた両親の家に生まれました。

エドガー・アラン・ポー 写真エドガー・アラン・ポー(出典:Wikipedia)

しかし物心つく前に父は失踪し、人気女優だった母も病でこの世を去ってしまいます。

孤児となったポーは、裕福な商人ジョン・アラン夫妻に引き取られました。このときに「アラン」の名をもらい、エドガー・アラン・ポーと名乗るようになります。

1826年、彼は当時できたばかりのヴァージニア大学に進学しますが、賭博と酒による問題を起こし退学してしまいました。これにより養父アランからの信頼を失い、また同時期に婚約していた女性に裏切られ、手痛い失恋も経験することにも繋がります。

サラ・エルマイヤ・ロイスターポーの婚約者であったサラ・エルマイヤ・ロースター(出典:Wikipedia)

自活する道もなかったポーは、1827年に偽名で軍隊に入隊。このころ初めての詩集を匿名で出版しています。その後士官学校に進みますが、雰囲気に馴染めずすぐに退学します。その後は親戚を頼ってボルチモアに移り住み、筆一本で身を立てようと雑誌のコンテストに作品を応募していきます。

1835年、26歳で「サザン・リテラリー・メッセンジャー」という雑誌の編集に携わるようになり、幾分暮らし向きのよくなったポーは、翌1836年に13歳の従妹・ヴァージニアと結婚。

ヴァージニア イラストヴァージニア(出典:Wikipedia)

しかしその翌年には雑誌社を辞め、ニューヨークへ移住しました。作家としてのチャンスをつかむべく奮闘しますが、しばらく貧しさに耐える生活が続きます。

30歳で「バートンズ・ジェントルマンズ・マガジン」の編集部に採用され、同年『アッシャー家の崩壊』をはじめとした作品を同誌に掲載しています。

雑誌が「グレアムズ・マガジン」となってからは編集長に就任。発行部数の向上にも貢献しましたが、諸事情により33歳で退職することになりました。ちなみに『モルグ街の殺人』は、1941年にこの雑誌で発表された作品です。

34歳のころには暗号小説『黄金虫』が雑誌のコンテストに入選。同作は大評判となりポーの文才が広く世間にも認められるようになります。

仕事が順調になる一方、結核を患っていた妻ヴァージニアが、5年にわたる闘病生活の末に24歳の若さで他界。最愛の妻を失い失意のポーでしたが、その失意を埋め合わせるかのように、次々と女性にアプローチをしていきます。

39歳から40歳にかけては、散文詩『ユリイカ』や詩『エルドラド』などの作品を発表し、念願の雑誌創刊準備も順調に進んでいきます。さらに、初恋の相手エルマイラとの再婚も決まり、ポーの人生はようやく上向き始めました。

ところが、仕事のためにニューヨークに行く途中、立ち寄ったボルチモアでポーの人生は突然幕を下ろします。州議会選挙の投票所となった酒場で、泥酔状態で倒れているところを発見され、運ばれた病院で亡くなってしまうのです。享年は40歳でした。

亡くなるまでの経緯はいまだ謎に包まれており、その死にまつわる数々の物語が創作され続けています。

かなり貧乏で酒グセも悪かったポー

ポーが遺した作品は小説・詩・評論など多岐にわたり、その多彩さからも才能豊かな作家であったことがうかがえます。

また自身の雑誌の創刊を夢に見続け、貧しさの中でも創作活動を続けたことからも文学の発展や、言葉による表現の可能性を信じ、そこに人生をささげた文学人であったことがわかるでしょう。

しかし、一人の人間としては、生涯「お金」と「お酒」に悩まされ続けていました。

編集者・小説家・詩人・批評家など華やかな肩書の多いポー。生前からヒット作も多く、「お金」に悩まされていたというのは少し意外に思えます。

が、当時は版権や著作権などの規定もいい加減で、作家の権利を守る仕組みがしっかりとできてはいなかった時代でした。そのため、ヒット作を生み出してもそれに見合った収入が得られなかったのです。

何度か安定した職も得ますが長くは続かず、少し余裕ができては極貧生活に陥るということを繰り返していました。病気の妻を床で寝かせるしかないという、超極貧の時代もあったとか。歴史上のダメな人あるあるですが、窮地に陥るたびに友人や知人が助けてくれていたようです。

若い頃に覚えたお酒については、気持ちが不安定になるたびに拠り所とするようになってしまいます。

業界内ではその能力を広く認められていたポーでしたが、飲酒についてはたびたび問題となり、それが職場を追われる一因となったこともありました。

しかし晩年には禁酒同盟に参加しており、お酒との付き合いをなんとか断とうとしていたことがうかがえます。

また詳しくは書きませんが、恋愛の面でも逸話がたくさん残っており、こうした人間味あふれる点を知るとはるか昔の大作家にも親しみを覚えます。人間ポーを知ることで彼の作品の受け止め方にも違いが出てくることでしょう。

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後世に大きな影響を与えた世界初の推理小説

『モルグ街の殺人』は世界で初めての推理小説として、その名を広く知られる作品です。デュパンシリーズは全3作と少ないのですが、作中の設定などはのちのミステリ小説でも応用され、今日に至るまで多大な影響を残しています。

一番わかりやすいのはキャラクター設定でしょうか。鋭い観察力と洞察力で事件を解決していく「名探偵」と、その活躍を間近で見ている「助手役の友人」を中心とする設定は、コナン・ドイルのホームズシリーズやアガサ・クリスティーのポアロシリーズをはじめ、多くの作家によって取り入れられています。

特に、ホームズはデュパンと性格も似ていますし、ワトソンとの関係性も、デュパンと「わたし」に近いものを感じます。

ちなみに、助手が事件を記録し、物語の語り手となるパターンを通称「ワトソン・システム」と呼びます。そのため一見ホームズシリーズが起源のように思われますが、実はポーが最初に取り入れていた手法でした。

また名探偵モノによく見られる「有能な名探偵と無能な警察」という設定も、ポーがデュパンシリーズで最初に取り入れています。デュパンは警察の上層部にコネがあるなど、警察との関係も深いようですが、警察そのものの捜査能力についてははっきりと疑問を口にしています。

この対立構造は、先に挙げたホームズシリーズ、ポアロシリーズ以外でも、後世の作品で踏襲されており、警察内での一匹狼が主人公のハードボイルド小説などでも応用されています。

初めての推理小説という新たなジャンルを作り出したポー。その才能と功績は、当時から各メディアで称賛されましたが、ポー自身は「ただ目新しいものだから注目されただけ」と一歩引いた見方をしています。

それでも現代において、古今東西のミステリ小説を楽しんでいる読者は皆、ポーに感謝しているはず。もちろんわたしもその1人です。

世界初の名探偵「オーギュスト・デュパン」

世界初の名探偵「オーギュスト・デュパン」。先にも触れたように、コナン・ドイルの生み出した名探偵シャーロック・ホームズの設定にも大きな影響を与えたキャラクターです。ただ、ホームズ自身は『緋色の研究』の中で、「デュパンと一緒にしないで」と怒っているのですが。

デュパンは名家の出でありながら、わずかな収入でギリギリの生活を送っている貧しい青年です。「お金がないならパリではなく田舎に住んだほうがいいのでは?」と思ってしまいますが、何を隠そう彼は読書家

今のようにどこでも本が読める時代ではなかったので、19世紀のパリは多くの書籍に触れられる場所という代えがたい価値がありました。それはもうパリに住むしかないですね(ちなみに「わたし」との出会いも図書館(翻訳によっては貸本屋)でした)

彼の生活スタイルについても本編では少し触れられています。彼は明るい時間帯よりも夜を好む性質だったらしく、「わたし」との暮らしでも明るいうちは鎧戸をピッタリ閉めてろうそくを灯し、家の中を夜のように演出して暮らしていました。

デュパンにすっかり魅了されている「わたし」も、その暮らしを一緒に楽しんでいる様子がなんとも微笑ましいです。夜にイキイキするというのは、なんとなくドラキュラを連想させ、ドキドキする怪しげな雰囲気を漂わせています。

彼は「他者とあまり交わらず、貧しい暮らしをする本の虫」という一見陰気なキャラクターではありますが、ひとたび事件に遭遇すると、その観察力と推理力を発揮して鮮やかに事件を解決に導きます。

犯罪現場でイキイキと動き回る様子は、普段の生活からすると別人のよう。特徴的なキャラクターが際立つ、そのあたりのギャップも読みどころと言えるでしょう。

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日本でも古くから親しまれた翻訳小説だった

『モルグ街の殺人』が日本で初めて紹介されたのは1887年。『ルーモルグの人殺し』というタイトルで新聞連載されました。翻訳を手掛けたのは小説家の饗庭篁村(あえば・こうそん)という人物です。

饗庭篁村 写真饗庭篁村(出典:Wikipedia)

彼は直接原文を読んだのではなく、友人による口述の内容をもとに作品を仕上げたということで、翻訳というよりは翻案であったとも言われています。その後もさまざまな翻訳版が出され、あの森鴎外もドイツ語版からの翻訳に挑戦しています。

どこか怪しげなゴシックホラー的な要素はありつつも、名探偵が事実に基づき論理的に謎を解明するというスタイルは、日本でも多くのファンの心を掴みました。

日本でのミステリ小説の発展に尽力し、エドガー・アラン・ポーの名前をもとに自身のペンネームを考えた江戸川乱歩は、「ポーが探偵小説を発明していなければのちの推理小説はまったく違ったものになっていた」とその功績をたたえています。

現代では全文を翻訳した完全版がいくつも発表されていますが、初期の翻訳版では冒頭部分を大胆にカットしたものが目立ちます。

作品を読んでいただければわかりますが、冒頭は語り手である「わたし」の持論が展開され、しばらくデュパンも登場しません。ミステリ作品として全体のバランスを見ても、必須ではないという訳者側の判断があったものと思われます。

ちなみにこの冒頭部分は、初読だとなかなか読むのが苦しい部分になると思います。

※続きは次のページへ!

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